フッサールの「根本概念」(清水真木)

清水真木『忘れられた哲学者 土田杏村と文化への問い』*1から。
フッサール現象学全体の前提となる根本概念」は「意識の「志向性」(Intentionalitat)*2の概念である」という;


意識が志向性を持つというのは、意識が意識であるためには「何か」の意識でなければならないということである。言い換えるなら、意識は、何らかの対象を持つことにより初めて意識となる。これは、意識に具わる根本的な性格である。志向性の概念に最初に表現を与えたのはフランツ・ブレンターノであり、フッサール現象学は全体として、ブレンターノに由来するこの志向性の概念を批判的に受容し、さらにこれを修正し洗練させて行く作業として理解することも可能である。
もちろん、意識は対象に向けられるだけであり、意識は。この対象をそれ自体として把握するわけではない。しかし、意識によって把握されるものが対象ではないとするなら、対象とは意識にとり何であるのか、そして、意識は何を把握するのか、さらに、それはどのようにして把握されるのか……、このような疑問が次々に心に浮かぶはずである。フッサール現象学というのは、これらの問いに一つひとつ丁寧に答える試みから生まれたものであり、このかぎりにおいて、フッサールのおびただしい著作が実際に取り上げているのは、きわめて狭い範囲のテーマであると言うことができる。(p.126)