http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid599.html
帰ってきて、ネットを繋いだら、1月24日に新宿で某少年が在特会のメンバーに「暴力」を行使して云々という情報が入ってきた。それを巡ってネット上では喧々諤々であるらしいが、上に挙げたエントリーは、(所謂新右翼の潮流に属する)「統一戦線義勇軍」の「議長」鉢谷大輔という方のblog。(「日本国籍」の)「友人」からの伝聞というかたちで、事件の経緯を伝えている。
ここに書かれた情報に依拠しつつ、俺はこの「D君」の行為を支持することにする。彼の「暴力」というのは差別的言辞を浴びせられながら集団的に散々小突き回された挙げ句のこと。他方で、彼にスプレーを浴びせられたとかいう在特が死んだとか失明したとかという情報は得ていない。であれば、(法的にはともかく)彼の行為は対抗的暴力として充分に正当性を有しうると思う。対抗的暴力は何よりも、均衡性において、つまり対抗的暴力の行使者が蒙った暴力(被害)との関係において過小か、充分か、過剰かということにおいて評価すべきである*1。彼の過失? 順序を取り違えてはならない。そういうことは、彼が自由の身になった後で「草加耕助」辺りがねちねちと説教すればいいだけの話だ。
ここで暴力を巡る(政治)哲学的省察を行う余裕はない。これに関しては、取り敢えずhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080622/1214148581をマークすることでお茶を濁す。また、日本語で書かれた「暴力」に関する哲学的省察として、丸山徳次先生の「「暴力」行為と構造的暴力――或る傷害事件を見る眼」(現象学・解釈学研究会編『理性と暴力』、pp.263-294)をマークしておく*2。
理性と暴力―現象学と人間科学 (Phaenomenologica)
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さて、
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20100125
ここで批判されている者らのロジックからすれば、刑事裁判における弁護人は被告とおんなじということになってしまう。俺も小学二年生の頃、どうして悪い奴(被告)を弁護する人間が必要なのか理解できなかった。やはり、それは「公民」(中学生)以前的な思考だ。
在特会の暴力性については、些か過小評価していたことに気づく*4。
*1:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061111/1163251721
*2:丸山先生には、「暴力」論として、「暴力の現象学的批判に向けて」(in 佐藤三千雄編『知と信』永田文昌堂、1994)というテクストがあるようだが、遺憾ながら未見。