「健康で文化的な最低限度の生活」

http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2004/12/post_23.htmlに、


「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」という奴.「健康な最低限度の生活」とはなるほど福祉・厚生行政の範疇ですが,「文化的な最低限度の生活」は教育・文化と経済行政の範疇でしょう.このあたり,誤解を恐れずに言えば,公共図書館はホームレスに炊き出しをするところじゃなく,ましてや風呂や寝場所を提供するところでもない,ということです.
日本国憲法25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」とは具体的にどういういみなのだろうか。私見では、生物学的な生存と社会的・文化的な意味での生活との区別じゃないかと思ってきたけれど。服を着ることが「最低限度の生活」を構成している文化もあれば、そうでない文化もある、云々。
それにしても「文化」は厄介な言葉。「文化」に貼り付いた意味――文化人、文化勲章文化学院文化住宅、文化鍋等々。
また、

いまひとつ,市民の誰もが必要なときに必要な情報を入手できる機会を保障すること,即ち公共図書館が存在する社会には「機会の平等」が保障されていることを意味します.近頃,巷間話題の「ビジネス支援」の勘所は,ここにあります.よって,図書館は誰もが等しく無料で利用できなければ「機会の平等」を保障することにはならないでしょう.
 ちなみに,「貸出至上主義」と称される,本の貸出に執着する主義主張は「モノの移動」という目に見える結果に価値を見出す,即ち「結果の平等」の過度の尊重という,戦後民主主義がもたらした負の側面に最も忠実な主張です.貸出至上主義者が「ビジネス支援」打倒に執念を燃やすのは,ビジネス支援が「結果の平等」という彼らの金科玉条に反しているからだと思われるフシがあります.
という1節。「貸出至上主義」という言葉を知る。