右翼は革命が好き?

kechackさんが中島岳志氏のテクストを援用して、「保守主義」の「空洞化」を論じている。曰く、


私の私見と付け加えると、日本の戦前・戦中の全体主義は「人間の全能性を過信した理想主義」であって本来保守主義者が批判すべき対象である。戦後、戦前の全体主義体制の反省を踏まえつつ、共産主義を批判する保守主義が日本にも胎動したが、しだいにその保守主義が空洞化してきたのでろう(sic.)。
不図思ったのだが、「保守主義」が「空洞化」したというよりも、戦後日本で〈保守〉とか〈右〉と呼ばれてきた人々というのはそもそも「保守主義」とはずれていたのではないか。勿論、中島氏が名を挙げている小林秀雄福田恒存江藤淳山崎正和勝田吉太郎といった人々を「保守主義」と呼ぶことに異議はない*1
保守主義」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060504/1146764157http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061010/1160499009山口二郎氏の言説を紹介した。http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060504/1146764157で引用した山口氏の文章を再度引いてみる;

私の言う進歩主義とは、人間は自らの力によって政治や社会を変える能力を持ち、人間にとってよりよい世の中を作り出すことができるという信念を共有するという意味である。また、左とは、政治的平等を最大限、経済的平等をある程度重視し、それらの平等を実現するためには政治権力を行使することも必要と考えるという意味である。かつての社会主義の思想は、経済的平等を最大限追求するために政治権力を全面的に行使することを是認した点で、左翼思想の極端な例でしかない。これに対して保守主義の思想とは、人間の能力の限界をわきまえ、計画や統制によって世の中を変えることについて懐疑的な態度を取ること、権力の介入を排除して個人の自由の領域を守ることを重視することなどを主たる柱としている。謙虚な知性が保守主義の根底にあるということができる。

 進歩主義者が理想を求めて、改革や変化を起こそうとする時には、保守主義者が、「世の中そう単純ではない」とか「人間はそう利口な動物ではない」と言って冷水を浴びせてきたものである。そして、良質な進歩主義保守主義に悪態をつかれることによって鍛えられてきた。

これにさらに加えれば、保守主義の根柢には目的意識的な変革よりも自然発生的な進化を尚ぶという進化論的発想があるのではないかと思われる。保守主義者が〈伝統〉を肯定するのも進化論的発想の帰結である。淘汰を生き延びて残っているものには何かしらの意味があるのではないかという発想。ここからある種の相対主義とプラグマティックな思考が生まれるわけだ。
それに対して、戦後日本で〈保守〉とか〈右〉と呼ばれてきた人々はどうなのだろうか。吉田茂は辛うじてここでいう保守主義に当てはまるのかも知れない。その友人だった白州次郎・白州正子夫妻も。多くの人が戦後日本における満洲國人脈の影響力の大きさを語っている。満洲國にも様々な意味があろう。その中でも注目すべきなのは、満洲國というのは日本国内では色々な柵があって実現できないでいる超近代国家を海外で一挙に構築してしまおうという革命的プロジェクトでもあったということだ。つまり、岸信介などは革命家でもあったわけだ。事実、(満鉄も含めて)満洲國というプロジェクトには(元)左翼も多く参加している。そういう革命家たちが戦後日本に引き揚げてきて、今度は〈保守〉とか〈右〉として活躍したということになる。目を内地に転じれば、近衛文麿の〈新体制〉。これも戦争の危機を契機に日本の近代化の徹底を図るプロジェクトという側面がある。勿論、これにも三木清などの左翼がコミットした。日本の戦時体制、或いは戦争の遂行を考える場合、軍における皇道派と統制派の対立を考えないわけにはいかない。昭和維新(革命)を叫んだ皇道派を統制派が粛清したのだが、上に挙げた戦時体制は皇道派による旧体制(政党政治など)の破壊を前提としたものであり、皇道派の革命プロジェクトを体制的に簒奪したものであるといえるかも知れない。露西亜革命がスターリニストによって乗っ取られたように。
昭和維新ということで思い出したのだが、こういう革命志向というのは日本近代の原点である明治維新と関係があるのかも知れない。司馬遼太郎はいまだ人気を保っている*2。勿論新撰組などの〈反革命集団〉も人気があるのだが、小説でもドラマでも、幕末維新といえば、勤王の志士(革命家)の物語である*3。大衆も知識人も政治家も財界人も左翼も右翼も〈革命〉が好きなのだ。ここでいう〈革命〉とは保守主義者が尚ぶ「自然発生的な進化」とは反対のものである。だから、現在、〈右〉の人たちが声高に〈改革〉を叫んだり、文化大革命的なプランを発表したりというのは驚くには当たらないのかも知れない。さらに重要なのは、1960年代後半以降、左翼の側で〈革命〉が流行らなくなってしまったことだ。勿論、今でも〈革命〉を叫んでいる人たちはいる。しかし、大方の左翼は〈革命〉などは考えていない。反戦とか反原発等々といった個別的・具体的な課題に取り組んでいる。真面目な左翼にしてみれば、〈革命〉に現をぬかしている暇はないということになる。左翼の側で〈革命〉が流行らなくなってしまった以上、それまで左翼の〈革命〉志向を批判してきた保守主義は敵を見失ってしまうことになる。そして、〈右〉の〈革命〉志向が目立つようになる。

*1:但し、無知のせいで勝田吉太郎の思想については存じ上げない。アナーキズムの研究家だった人ですよね。

*2:司馬遼太郎が昭和の戦時体制、特にその非合理主義に対しては徹底的に批判的だったことはよく知られている。司馬遼太郎を現代における代表的な保守主義の思想家のひとりとして挙げるべきかも知れないのだが、彼はその歴史小説を通じて、革命としての明治維新というイメージを戦後において定着させたといえる。なお、彼は韓国軍事政権下で言論弾圧は存在していないという日本ペンクラブの報告に抗議して一時ペンクラブを脱退していたことからもわかるように、その政治的スタンスはけっして〈右〉ではなかったといえるだろう。

*3:江藤淳勝海舟に共感を寄せていた。