「集団的自衛権」/「集団安全保障」(小沢一郎)

承前*1

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130326/1364225908


小沢一郎が1999年に発表したテクスト*2を引きつつ曰く、


小沢一郎は「集団的自衛権」と「集団安全保障」をしっかり区別していた。その上で、その両方に賛成するというのが小沢の立場ということなのだろう。その点が、過去に「集団安全保障」を主張していた石橋湛山南原繁らと違う、タカ派小沢一郎らしい点ではないかと思う。そして、小沢の主張は、上記小沢論文が『文藝春秋』に掲載された1999年から今に至るまで全く変わっていない。「アメリカと手を切ることは、日本が鎖国するということに等しい」という言葉に注目してほしいが、小沢は別に「反米」でもなんでもない。一部の「小沢信者」が勝手に「反米」の幻想を小沢一郎に投影し、誤解されても特に何も困らない小沢が単にそれを否定も何もしないだけの話であって、小沢の本音は上記の論文にある。その主張はいたって明快だ。小沢は何も「信者」を騙しているわけではない。勝手に妙な妄想を抱いて小沢一郎にそれを投影する「小沢信者」どもが狂っているだけの話だ。
小沢一郎は「区別」しているとして、「小沢信者」は? 
小沢曰く、

直接的に武力攻撃を受けたときの反撃手段のため、最小限度の軍事力として自衛隊を持つ。加えて国連の一員として平和維持活動に協力して「国連常備軍」の創設を計画したり、軍縮核兵器廃絶などの具体的な目標を法律(安全保障基本法)に織り込むことも可能である。

 新世紀を迎えようとする日本が平和を維持し、生き残っていくためには、国際社会との協調を図らないければならない。そのためには、国連を中心としたあらゆる活動に積極的に参加していく以外に道はない。その意味で私は、日本が率先して国連常備軍の構想を提案すべきだと思う。兵器・技術の発達により、もはや昔の主権国家論は通用しなくなった。個別的自衛権集団的自衛権だけで、自国の平和を守ることは不可能である。集団安全保障の概念、すなわち地球規模の警察力によって秩序を維持するしかない。自衛隊は歴史的使命を終えて、これから縮小することになる。そして日本は国連常備軍に人的支援と経済力を供出すべきである。

ここで小沢は「集団的自衛権」については名前だけ出しただけで、具体的には何も言っていない。今引用した箇所は、(「個別的自衛権」の体現たる)「衛隊は歴史的使命を終えて」「最小限度の軍事力として」まで「縮小することになる」。それに代わって、(「集団安全保障」の体現たる)「国連常備軍に人的支援と経済力を供出」することになると主張していると、取り敢えずは読める。その後小沢が「集団的自衛権」について具体的にどう言っているのかはわからない。