生き別れ

荒木涼子「袴田さん 58年会えぬ息子」『毎日新聞』2024年9月23日


袴田巌さん*1 の息子について。
再審無罪判決の前の記事。


やり直しの裁判(再審)の判決を控えた9月上旬の晩。浜松市の自宅にいた袴田さんの姉秀子さん(91)は、袴田さんから手のひらサイズのクマのぬいぐるみを渡された。袴田さんは息子の名前を挙げて、言った。
「あした、うちに来るで(来るから)、渡してくれ」
日中、ドライブに出掛けた袴田さんは、立ち寄った先でぬいぐるみを買い、胸ポケットに収めて帰宅していていた。
翌日、息子が訪ねてくることはなかった。袴田さんが、なぜ「うちに来る」と言い出したのかは分からない。プレゼントは、息子に渡されないまま、今も秀子さんの自宅の棚に置かれている。

58年前に袴田さんが逮捕された後、息子は一時、秀子さんの家に身を寄せていた。物心がつく前だった。テレビで事件のニュースが流れると、無邪気に「お父ちゃん、お父ちゃん」と袴田さんの顔写真を指さしていたという。
公判中の袴田さんが家族に宛てた手紙には、息子に関する記述が散見される。
「息子や、婆々を困らせないように」
「息子のこと、お願いします」
「(息子を)動物園に連れて行ったとのこと」「眼を光らせた(輝かせた)と思います」
袴田さんは裁判で一貫して冤罪を訴えたが、68年9月、静岡地裁で死刑を言い渡された。
秀子さんら親族は、袴田さんの息子を児童養護施設に預けることにした。「事件から離れて、別の人生を歩んでほしい」との思いからだった。
袴田さんも受け入れ、秀子さんに「(施設の)先生によろしく」とメッセージを託したという。

およそ30年前の出来事だ。袴田さんは久しぶりに拘置所で秀子さんと顔を合わせた。どこで聞きつけたのか、息子が結婚したことを知っていて、秀子さんに「どんな人と結婚しただ?」と問うた。困った秀子さんは「いくら冤罪でも、父親がこんなところにいるって(息子には)言えん」と漏らした。以後、袴田さんは息子のことを一切、口にしなくなったという。
釈放後の話;

超長期の拘禁症状もあって、妄想と現実の間を行き来する状態は今も続くが、目に見える変化もあった。袴田さんの言動に、息子に対する愛情が現れるようになってきたことだ。秀子さんの目には、日に日に強まっているように映る。
小さい子どもが自宅を訪ねてきたり、街中で話しかけてきたりすると、袴田さんは時々「お小遣い」と称してお金を渡す。
秀子さんは「巌の中では息子は小さい時のまま。子どもたちと息子の姿を重ね合わせているのではないか」と推測する。
秀子さんによると、袴田さんはこの1~2年、時折、ブツブツしゃべりながら、顔をほころばせる。その様子に気が付いた支援者が「どうしたの?」と聞くと、袴田さんが息子との名前を呼んだこともあったという。

秀子さんは数年前、人づてに、袴田さんの息子が元気に暮らしていることを聞いた。
息子は自分の父が袴田さんであることは知っているが、事件時の記憶はないと説明しているという。