「投影」しまくり

承前*1

磯前順一『石母田正 暗黒のなかで目をみひらき』から、石母田正の論文「古代貴族の英雄時代――古事記の一考察」(「英雄時代論文」)について。

「英雄時代論文」「第二章の後半では共同体のあり方」が論じられる。「諸豪族による国内制服と朝鮮進出、および巨大古墳にみられる民衆的要素と支配者的要素の並存から、四・五世紀の豪族が国家形成への戦闘にあけくれる一方で、その共同体の内部は十分に分化しておらず、族長権力は支配者的ではあると同時に共同体の一員の域をでない過渡的なものであった」。そうだとすると、「いかに対立が語られようとも、結局は共同体の調和性のもとに回収されてしまう」(p.180)。それは石母田の論のソフト・スポットであって、批判の恰好のターゲットとなった。「石母田が当該期の族長を共同体成員の利益に仕える高木的指導者とするのにたいし、北山[茂夫]*2は成員を抑圧する権力者とみたのである」(ibid.)。
「英雄時代のように同時代の文献がほとんどない場合、断片的史料からその社会全体の性質を把握することは難しい」――


共同体内部の様子は文献に現れないため、集団と族長の関係性を記録、なかでも成員側から見たものは皆無に近い。後代に作られる記録をふくめ、それは政治・文化的権力の中心部からの一方的な記述の域を出ず、その実体(sic.)を明らかにすることは困難となる。そのため、研究者が当該期の共同体に仮託する欲求はあからさまなかたちをとる。石母田の場合、そこに投影された共同性観は共同体の内外ともに調和的な関係にみたされ、決定的な異質さや対立が背景に退いていく。こうした理解のもとでは、権力はのちの階級社会がもたらした非本来的なものとして、共同体の本質的考察からは排除されてしまう。(p.181)

(前略)石母田は英雄時代を論じるさいに、自分自身のもつ価値規範を意識化しないままに、それを過去の社会に投影してしまった。石母田の英雄時代論は、国家主義的な民族英雄論に抜本的な批判を加えることを目的のひとつとしていたが、その対抗手段として別種の国民共同体の歴史を想起するにいたり、それを理想の主体性をそなえた共同体として理想化しすぎたのではないか。(略)認識主体としての自己の視点を絶対化する点では(略)実証主義の信奉者であったとも言えよう。(p.182)
「現前しない過去」としての「英雄時代」;

(前略)英雄時代は史料的にも理論的にも証明できるものではない。それは史料的制約から言って、論述者にかなり自由な自己投影を可能とさせる空白の時間、「現前しない過去」とならざるえない。それを出現させるための論理操作が、叙事文学と英雄時代のあいだに設けられた隔たりであり、散文と歌謡の二艘分離であった。だが、それはテクストの向こう側に現前しないものを設定し、それに本来的価値を付与することで、現存するテクストのほうをその零落した姿に裁断してしまうという本末転倒した論理を呼び込むものであった。
歴史的基礎づけを求める性向は、記紀の成立以来、解釈の長い歴史のなかで、本居宣長津田左右吉など記紀に関わる者たちが一貫して取り続けてきた姿勢であり、記紀そのものを支える論理でもあった。民族の歴史的本来性という根拠こそが天皇制のもつ最大の論拠であり、同じ論拠をとるかぎり天皇制の打破は容易ではない。記紀が現存する最古の文字テクストとして確かな証拠をもつのにたいして、英雄時代論者の説く歴史は憶測の域を出ることはできない。とくに近代歴史学が文献による明証性を謳う以上、明晰さを欠くその主張は相手の陣営を覆すどころか、自陣の説得さえ容易ではなかった。
天皇制の呪縛から解放されることを望むなら、民族共同体を歴史的本来性として基礎づけようとする発想が天皇制の論理そのものであり、それにたいする抵抗のかたちさえその論理に支配されていることを自覚する必要がある。わたしたちは天皇制と異床同夢のなかにさ迷い続けることになろう。
しかし、起源に求めるものが天皇制に仮託されたような同質性一色でなく、異種混淆的なものだとするならば、不在の起源ゆえに、現実を多様に意味づけることが可能となる。そのとき、現前しない不在の起源は現実をもろ手を挙げて肯定するのではなく、絶えず批判することで改善していく批評の基準点となることが可能となろう。(pp.182-184)
この(石母田ではなく)磯前氏の論から、ラディカルな改良主義としての脱構築というようなことを考えてもみたくなるが、ここでは深追いはしない。
「英雄時代論文」についてはさらに続く。

*1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/08/08/125404

*2:北山茂夫「日本における英雄時代の問題に寄せて」(1953)。上田正昭編『論集 日本文化の起源2』(平凡社、1971)に再録されている。