「文学」は「自律」するか

承前*1

磯前順一『石母田正 暗黒のなかで目をみひらき』から、石母田正の論文「古代貴族の英雄時代――古事記の一考察」(「英雄時代論文」)について。

「英雄時代論文」の目的は何だったのか? 「何故、国民が天皇制という歴史的権威に服したがるのか」ということ、つまり「主体性を失った理由」の「解明」である(p.184)。(天皇の)「「専制君主的側面」の発生期の特定」という仕方で、それは「第三章 英雄時代の背景について」において試みられている(ibid.)。石母田は「英雄時代の天皇家がすでに四・五世紀の段階からほかの豪族同様の族長的側面だけでなく、専制君主的側面を兼ね備えていたとし、他地域にはみられない専制的性質の存在が、畿内の地方王権を日本の広汎な地域に及ぶ古代国家へ飛躍させたと結論づけ」、第3章を次のように結んでいる;


東洋的世襲王制を阻止して、貴族階級の共和制的組織を確立し得なかったこと、英雄的叙事詩的古代を展開せしむることが出来なかったことは、かかるものを支える唯一の力であった人民の政治的権威がわが国ではこの時代において急速に退化したことに基づくものと見られる。
石母田によれば、「主体性喪失の原因」は「専制政治にたいする「人民の共同体的組織」の政治的敗北」である(p.185)。石母田の「議論は記紀という文学を題材としてはいるものの、本質的には階級闘争的な政治史論と呼ぶべきものなのである」(p.185)。
以下、磯前氏による批判的なコメンタリー;

教条的な下部構造規定論を克服するため、彼は文学を独自の法則性をもつものとして取り上げた。だが、それはマックス・ウェーバーのごとく思想領域にある程度の自律性を認め、その構造を主題化しようというものではなかった。石母田において経済運動にたいする独自性は思想や文学ではなく、政治の領域に求められたのである。文学はこの政治領域の動きを反映したものとして、独自性をもつのだ。
しかし、石母田の政治論は(略)どこまでが歴史の必然性で、どこまでが人間のもつ可能性なのかが曖昧であった。状況分析と変革のヴィジョンが混同されてしまえば、そこで語られる人間の主体性は現実との緊張感を失った観念的な戯れに化してしまう。そして、ここでも人民組織の一体性が自明の前提とされ、そこに権力関係が存在することことは十分に指摘されていない。むしろ、主体性や民族という言葉が直視すべき現実の矛盾が、覆い隠されそうにさえなっている。
石母田はかつて英雄時代に存在した主体性が専制政治のもとに挫折を余儀なくされたという構図を描いたわけだが。日本における英雄時代の存在が立証できない以上、人民の一体性のなさが対象化されなければ、民衆の権威依存の問題は解き得なかった。政治的抵抗を喚起するだけでは、肝心の抵抗自体が切り崩されてしまう。この政治実践性が分析の俎上にあげられず、実証主義が理想を虚空に描くとき、研究者は己れの願いのなかで自家中毒を起してしまう。当初、曖昧な解釈を戒め、たしかな事実を確定するための批判的役割をになって登場してきた実証主義であった。しかし、ここではかえって自己の価値規範から目をそらせる硬直した事実信仰にはまりこんでしまったのである。(pp.185-186)