ご不満など

「「長居」は大阪ではどう発音されるか/かつての東京では「赤とんぼ」「大岡」「原」はいずれも頭高で発音されていた」https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2024/06/15/093730


大阪市住吉区にある地名「長居」*1のアクセントが揺れているという。
さて、


また、東京出身の大岡昇平(1909-1988)が自らの姓は生まれてこのかた「オオオカ」と頭高でしか発音されたことがなかったところ、生徒時代だったかの小林秀雄に平板アクセントで姓を呼ばれてしまったと晩年(1985年)に書いていた。そのエッセイで言及されていたのが、当時プロ野球の読売軍で四番を打っていた原辰徳の「原」の発音で、誰だったかがアナウンサーの発音では「腹」と同じだ、姓の「原」は「は」を高く発音するのだと書いていたことに対して、頭高の発音がされなくなったのは自分が若かった時代からのことだと指摘していたのだった。
「誰だったかがアナウンサーの発音では「腹」と同じだ、姓の「原」は「は」を高く発音するのだと書いていた」という「誰」は多分丸谷才一だったかしら。具体的な出典は忘れてしまったのだけど、私の記憶では、スポーツ新聞か何かで記事のタイトルに「原辰徳」に引っかけて、「腹立つ」という言葉が使われていたのに対して、「原」と「腹」はアクセントが違うと言っていたんじゃなかったと思うのだけど。
でも、地名と人名の違いというのはあって、私の場合、大岡昇平とか大岡越前の「大岡」は「頭高」で発音するけれど、東京工業大学がある大岡山の「大岡」はフラットにいう。或いは、渋谷陽一と渋谷駅。
また、日本語一般でフラット化というのが進んでおり、1980年代には最近の若者は


映画

とか


茶店


をフラットに発音すると嘆く年長者がいたのだった。フラット化の進行とともに、


パンツ
クラブ


のように、アクセントによって意味が分岐する言葉も出てきた。
ところで、私が気になっているのは外国の人名のこと。外国の人名は「頭高」で発音するのが普通ですよね。


バイデン
トランプ
プーチン


ところが、社会学の世界では些か違うようなのだった。


ギデンズ
バーガー
ジンメル
ブルデュー
ゴフマン


これらの人名を私は「頭高」で発音する。「ゴフマン」をフラットに発音すると、ご不満かと思ってしまう*2。でも、フラットに発音する人がけっこう多いのだ。因みに、


ルーマン


をフラットに発音する人はいないわけではないが、最初に挙げた人々よりははるかに少ない(という主観的印象)。
これはどういうわけなのだろうか? 日本語一般のフラット化という言語学的問題なのだろうか? それとも、大学院の先生がフラットに発音していたり、逆に「 頭高」で発音したりしていて、それを模倣する仕方で発音がなされるという社会学的(?)事情があるのだろうか。

なお、日本語のアクセントは東日本vs. 西日本みたいな対立が言われているけれど、茨城から栃木にかけてのように、アクセントにはそもそも頓着しないという地域もあるのだった。また。藤井貞和氏は八丈語*3などを参照して、日本語にはそもそも「アクセント」は存在しなかったと述べているが(『日本語と時間』、p.144ff.)*4、この説の妥当性はわからぬ。