『試行』の縁で

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吉本は今の店主のお父さんと「試行」を発行していたんですよね、昔のことでした。

『試行』*1つながりだったのですね。「今の店主のお父さん」とは宍戸恭一氏のことですよね。

【訃報】京都の書店「三月書房」前店主・宍戸恭一さんが死去 吉本隆明さん編集の雑誌『試行』を販売
2017年2月5日 4:00 PM ニュース


思想書、歌集など独自の品ぞろえで全国的に知られる、京都市の書店「三月書房」の前店主・宍戸恭一(ししど・きょういち)さんが1月22日に京都市内の病院で脳梗塞のため死去していたと、京都新聞などが伝えています。95歳。葬儀は近親者で営んだとのことで、喪主は長男の立夫(たつお)さんです。


三月書店は1950年に宍戸恭一さんの義父が開店、70年代に宍戸さんが継ぎました。ベストセラーは扱わず、思想書や社会評論書、短歌や詩、俳句など人文・社会学系の本を集め、思想家の吉本隆明さんら多くの文化人が通ったことで知られます。
また、吉本隆明さん編集の雑誌『試行』(1961年創刊、1997年終刊)の販売も行っていました。


著書に『現代史の視点―<進歩的>知識人論』(1982年)、『三好十郎との対話―自己史の追及』(1983年)などがあります。
http://bookpooh.com/archives/696

また、林蘊蓄斎「宍戸恭一さんが語る 雑誌『試行』」というエントリー*2からコピペ;

京都新聞四月十八日朝刊文化欄に宍戸さんへのインタビュー記事が出た。吉本隆明が三十六年間にわたり発行した『試行』について語っておられる。

《「試行」は1961年、吉本さんと詩人の谷川雁さん、評論家の村上一郎さん(いずれも故人)の共同編集で創刊された。その3年前から吉本さんと手紙のやりとりをしていた宍戸さんは、創刊号が出る前に「試行」2号への寄稿を依頼されたという。》

宍戸さんは吉本に三人で編集すると空中分解するから個人誌にすべきだと進言したそうだ。その通り六四年から吉本単独編集となった。

《宍戸さんが吉本さんと知り合ったのは、著書「転向論」(58年)を読んで感銘を受け、手紙を出したのがきっかけだった。》

そして『試行』に三好十郎についての論考を連載したことなどが語られ、こう締めくくられている。

《「人物論を展開するのに、正面だけしか見ないのは『擬制』の人物論です。それが『終焉』した今こそ、吉本さんの全体像に迫る、本物の吉本論が始まると思います」》

芸術的抵抗と挫折

芸術的抵抗と挫折

最初に引用した「訃報」にいうようにたんに「販売」していただけではないでしょうけど、redkittyさんがおっしゃるように一緒に「発行していた」のかどうかはわからない。確かなのは、『試行』への寄稿者だったということでしょうか。