或る信仰告白

佐藤優*1「労働者は「包摂」を超えられるか」『毎日新聞』2020年4月18日


白井聡*2『武器としての「資本論」』の書評。


カール・マルクスの『資本論 第一巻』の視座から現代資本主義を読み解こうとした意欲的な作品だ。マルクス経済学者の宇野弘蔵氏と哲学者の柄谷行人氏の知的営為を白井聡氏は真摯に受け止め、発展させようとしている。資本主義は労働力の商品化によって、商品が繰り返し生産されるシステムだ。その過程で、労働者と資本家という階級も再生産される。再生産は単なる物やサービスに留まらず、イデオロギー(人間の行動に影響を与える思想)にもこの構造を白井氏は「包摂」という概念で説明する。(後略)

白井氏は、『資本論』の読み解きは、宇野氏と柄谷氏の思索を継承している。この2人は、明治維新を基本的にブルジョア(市民)革命と規定し、世界資本主義システムに日本も包摂されていると考える。これに対して、白井氏は、明治維新後も日本には封建制が強く残り、それが現在に至っていると考える。この認識は、宇野氏と激しく対立した日本共産党マルクス主義者の講座派と親和的だ。宇野経済学と講座派を結合するというアクロバティックな手法も本書の魅力だ。
さて、突如佐藤氏の信仰告白が出てくるのが興味深い;

科学的な資本主義分析を重視し、 唯物史観イデオロギーとして排斥した宇野氏のアプローチに白井氏は批判的だ。白井氏自身が、現下の資本主義体制を根本から転換しなければならないという価値観を持っているからであろう。本書では、「自分にはうまいものを食う権利があるんだ」という抑制された表現がなされているが、人間を疎外から解放するためには革命が不可欠であると白井氏は考えているのだと思う。もっともロシア専門家である白井氏は、ソ連スターリン主義体制の構造悪をよく理解している。その上での、新たな革命への道を真剣に模索しているのだと思う。評者は、人間の力による革命を信じない。それよりも外部(例えば神)の力によって、いつか現れる千年王国に備えて「急ぎつつ、待つ」ことが重要と考えている。