「獄死」と「大仏」

船橋の漁業の歴史」『CiaO』(新京成電鉄)172、p.8、2024


曰く、


京成船橋駅から徒歩15~20分の場所に漁港*1が広がり、現在も漁業が営まれている船橋。その豊かな海では古くから漁が行われ、江戸時代前期の古文書には「舟橋猟師町」の表記が見られます。将軍家に魚介を献上する「御菜浦」にも定められ、カレイやキス、出世魚のイナやナヨシを納めていたようです。
また、御菜浦として漁場を広く占有する特権が与えられていたため、近隣の漁師たちとの間で漁場争いが繰り返されました。江戸時代後期には船橋の漁師が牢に入れられ、獄死。毎年2月28日に船橋不動院*2で行われる「大仏追善供養」*3は、大仏の顔や体に白飯を盛り付けることにより、漁師の牢内での苦しみを慰めるといわれています。
 
   なお、船橋で海苔の養殖が始まったのは明治20年代後半であるという。