蘇我話


奈良県橿原市蘇我入鹿*1を祀る「入鹿神社」*2がある。こんな神社はここだけなのだという。また、小網町の隣町である橿原市曽我町には「宗我坐宗我都比古神社」がある*3。「入鹿宮」という通称もあり、蘇我馬子*4が創建したという伝承がある。
ところで、6月に蘇我入鹿の「怨霊」に関するツィートを幾つかRTしていたのだった。
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matapon「蘇我入鹿首塚奈良県]」https://cultural-experience.blogspot.com/2015/12/blog-post_12.html


蘇我氏の謎が大きいことは勿論だけど、その謎というのは結局、その先祖と伝えられる武内宿禰の謎に収斂してしまうのではないかと思った。
蘇我の末裔というのは平安時代の中期には六位まで行ければ御の字という地下人になって、そのまま明治に至ったようなのだ。ずっと零落しているもののかつては天下を牛耳っていたような家系では昔の話はどのように伝えられているのかということが気になった。蘇我だけなく、(そのライヴァルでもあった)物部や大伴(伴)の場合も。