Deanna Durbin

“Deanna Durbin, Hollywood film star, dies at 91” http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-22364605
Michael Freedland “Deanna Durbin obituary” http://www.guardian.co.uk/film/2013/may/01/deanna-durbin


女優の Deanna Durbin亡くなる。享年91歳。
シネマトゥデイ』の記事を引用しておく;


アヴェ・マリアディアナ・ダービンさん死去 1930年代に子役として活躍

2013年5月1日 18時44分


 [シネマトゥデイ芸能ニュース] 女優・歌手として知られるディアナ・ダービンさんが亡くなった。91歳だった。NYTimes.comなど複数のメディアが報じた。

 NYTimes.comによると、ディアナさんの息子ピーター・H・ダビッドがディアナさんの会報誌the Deanna Durbin Societyで、ディアナさんが亡くなったことを発表したという。ディアナさんが亡くなった日付や死因は不明。

 ディアナさんは1921年にカナダで生まれ、1936年の映画『天使の花園』で長編映画デビュー。その後映画『オーケストラの少女』『アヴェ・マリア』などの作品で主演を務め、1930年代から1940年代にかけて活躍し、第11回アカデミー賞では特別賞を受賞した。

 ディアナさんは2度の離婚の後、ディアナさんの主演映画『レディー・オン・ア・トレイン(原題) / Lady on a Train』の監督を務めたフランス人プロデューサーのシャルル・ダビッドさんと1950年に結婚。これを機に女優業を引退している。(井本早紀)
http://www.cinematoday.jp/page/N0052647

この記事の記述にひとつ異議を挟まなければいけないとしたら、1950年に「結婚」を「機に女優業を引退している」としているところだろう。彼女の「引退」はシャルル・ダヴィッドとの結婚の前年の1949年。20代で引退し、その後も映画への出演どころかメディアへの露出も一切拒んでいたということから、どうしても連想するのは日本の原節子さん*1であろう。勿論、幸いにして、原さんはまだご存命であるけど。そういえば田端義夫さん(バタヤン)も亡くなったのだった;

「バタヤン」田端義夫さん死去 享年94歳 肺炎のため


2013年4月25日 17時12分

 [シネマトゥデイ芸能ニュース] 昭和を代表する歌手の一人で、「バタヤン」の愛称で知られた歌手の田端義夫さんが25日、肺炎のため都内病院で亡くなった。94歳だった。

 田端義夫音楽事務所によると、田端さんは2010年3月31日に自宅で転倒したため病院に搬送され、胃潰瘍が見つかり入院。今月24日に容態が急変し、25日午前11時45分、家族に見守られながら息を引き取った。闘病中も新曲・舞台への思いを消さず、新たなアルバムや大阪での公演を追った映画『オース!バタヤン』の公開を楽しみにしていたという。

 田端さんは1919年1月1日生まれで、三重県松阪市出身。1925年に大阪に移り住み、1938年に吉本興業主催のアマチュア歌謡コンクールで優勝。1939年に上京し「島の船唄」でデビューした。その後も「梅と兵隊」「島育ち」「かえり船」などヒット曲を連発。また俳優としても『母を慕いて』『アジャパー天国』『ハワイ珍道中』など数々の映画作品に出演した。

 ステージでは、エレキギターを高い位置で構え、威勢よく「オース!」とあいさつする姿で知られた田端さん。1989年には勲四等瑞宝章を受章。1995年には社団法人日本歌手協会の会長に就任し、2003年に名誉会長に就任。総レコーディング数は約1,200曲、シングルは400枚以上、アルバムは300枚以上に上るなど、精力的に活動した。通夜・告別式などの詳細は未定。(編集部・入倉功一)
http://www.cinematoday.jp/page/N0052464

或る意味で、ジミー・ペイジとは対極的なギタリストであった*2