パスタ話



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確か1975年、私の母方の祖母が、それまで約50年間、吉祥寺駅北口のサンロードで経営していた美容室を地上5階、地下1階のビルに改装した時、地下にテナントとしてスパゲティのお店を入れました。もちろん、店名に「パスタ」は入らず、「スパゲティ ブイトーニ」という店名でした。メニューも、スパゲティと言えばミートソースとナポリタンしか知らない人が、当時は大半を占めていましたから、ボンゴレのことを「アサリとシイタケのスパゲティ」と書くなど、随分と工夫していたことを覚えています。あのお店、確か10年ぐらいは続いたと思いますが、今も営業していたら、毎週でも食べに行きたいなあ…と、懐かしく思い出します。

確かに、「スパゲティと言えばミートソースとナポリタンしか知ら」なかったです。「ボンゴレ」を初めて食べたのは1978年、最近閉館した津田沼パルコにあったレストラン。
「スパゲティ」ということで記憶に残っているのは、先ず大学の近くにあった「Camp」という喫茶店で、初めてカルボナーラを食べた。それは、炒り卵を絡めたようなスパゲティで、ずっと後に自分でレシピを見てカルボナーラを作ろうとしたとき、「Camp」のカルボナーラと全然違うじゃん! と思ったものです。「Camp」は大学の近くで地下鉄の駅前だったにも拘らず、静かでシックな雰囲気だったのですが、21世紀になってその場所を再訪したときにはフレッシュネス・バーガーになっていました。それから、お茶の水の茗渓堂という本屋の並びにあった喫茶店*1。鱈子スパゲティの記憶しかないのだけど、ランチ・タイムはそれだけだったかも知れない。この店では、珈琲を1杯ずつサイフォンで淹れていた。

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アラビア語で、めん類のことを「マカルーナ」と言うので、イタリアからきたパスタのことそう呼ぶようになったんだろうなと想像します。
イタリア料理はフランス料理の源泉なのかもしれませんが、イタリア料理の源にあるのは中華料理ではないかと。

実は、伊太利料理とアラブ料理はけっこう深いつながりがあります。乾燥パスタは実は北アフリカで遊牧生活に合わせて開発されたもので、ムスリム支配下だったシチリアを経由して伊太利半島に伝播しました。何処で知ったのかは忘れましたが、高山博『中世シチリア王国*2にはパスタの話は出てこなかったと思う。
ミケランジェロ・アントニオーニがドキュメンタリー『中国』*3の中で、スパゲティは中国起源だと中国人に蘇州の麺館で言われるシーンがあって、アントニオーニはアフレコのナレーションで、納得できないと呟いていました。伊太利(正確に言えばヴェネツィア)と中国といえばマルコ・ポーロですが、マルコ・ポーロは中国へ行っていないぞ疑惑というのは根強くあるわけで。