Europe/Nordic

冨原眞弓「タフで陽気な旅人たちが、北の国からやって来た。」『図書』(岩波書店)832、2018、pp.54-59


1988年夏、インゲとマリという2人の瑞典人が冨原さんの家に(最近流行りの言葉で言えば)民泊したときの話。


あるとき、インゲが「ヨーロッパ」を「スカンディナヴィア」または「北欧」*1と使い分けているのに気づいた。
「ロンドンやパリはヨーロッパの都市なのよ。もちろん、ベルリンやローマもね。でも、たとえばストックホルムは、スカンディナヴィアまたは北欧の一部であって、ヨーロッパとかさなる部分もあるけど、まるまるいっしょではない」
とインゲは主張する。
スカンディナヴィアはデンマークノルウェースウェーデンという地政学的・言語学的に同質の文化圏をさし、北欧はこれに言語学的に異質のフィンランドを加えた文化圏をさすらしいこともわかった。
「わたしを含め、たいていのスウェーデン人やノルウェー人は、自分のアイデンティティの拠りどころを、ヨーロッパではなくスカンディナヴィアに求めているんだと思う」
「そこに、デンマーク人は入ってないの?」と素朴な疑問をぶつけてみた。
「そうねえ、彼らは、半分スカンディナヴィア人で、半分ヨーロッパ人みたいなものだから」
「どういう意味?」
「ヨーロッパというのは、文化的で洗練されているという意味、良くも悪くもね。学生時代は週末にコペンハーゲンまで遊びに行った。夜中でも街に灯がともり、路上にはひとが溢れて、ああ、ここはヨーロッパの都市だなあと思った」
真意を掴みかねているわたしをみて、インゲは朗らかに言葉を継いだ。
「ただし、朝からあんな甘ったるいデニッシュ(デンマーク産のパンの意)を食べるなんて、信じられない」と意味不明のいいがかりをつける。質実剛健を旨とする北欧水準からみれば、菓子パンは世紀末のパリやベルリンを連想させる「頽廃」なのだと。
あとからふりかえれば、一九七三年、英国とともに早々とEC(欧州諸共同体)に加盟したデンマークにひきかえ、一九八八年当時、スウェーデンノルウェーも未加盟だった。
ECが一九九三年にEU(欧州連合)へと拡大統合すると、スウェーデンは一九九五年に加盟するが、ノルウェーは二度の国民投票否決により非加盟を維持。もっとも、三国ともユーロ圏には入らず。だからデンマークは「半分スカンディナヴィアで、半分ヨーロッパ」なのか。(pp.57-58)
昔、恩師H先生のゼミで読んでいた論文にNorth Europeというフレーズが出てきて、「北欧」と訳していいのかどうか議論になったことがある。読み進めていくと、具体的にはスカンディナヴィアよりも南の独逸辺りのことを指しているようだったので、取り敢えず「北ヨーロッパ」と訳しておくことにしたということがあった。
倫敦は「ヨーロッパ」だということだけど、俺たちは島であって大陸ではないと「ヨーロッパ」を否認する英国人も多い筈。事実、英国は「ヨーロッパ」を辞めてしまった*2。その一方で、所謂「ヨーロッパ」の基礎は羅馬帝国崩壊後のスカンディナヴィア人(ヴァイキング)の侵略によって形成された部分が多いのではないかとも思う。そこで、ノルマン人国家としてのシチリアについては高山博『中世シチリア王国*3を再度マークしておく。
中世シチリア王国 (講談社現代新書)

中世シチリア王国 (講談社現代新書)