小田実が『細雪』を語った

何でも語ろう (1982年)

何でも語ろう (1982年)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120305/1330923949に対して「「朝まで生テレビ」が始まった当初はかつてのティーチ・インの延長線上に位置づける向きもあったわけだが…」というコメントをいただいたのだが*1、雑誌『話の特集』に掲載された小田実*2司会の座談会を集めた『何でも語ろう』(1982)という本を思い出す。小松左京*3星新一、門馬寛明、開高健和田誠が出席した「未来を語る」(1967年2月)は読んでいて思わずくすくす笑ってしまった。特に占星術師の門馬寛明の発言には爆笑。
「革命を語る」(1966年11月)には安東仁兵衛*4鶴見良行渡辺真理*5が出席している。その中で、小田実谷崎潤一郎の『細雪*6に言及している;


(前略)若い人と接触していて、ハタと、気づいたことがある。いまの人たちの中で、我々は絶えず、戦後二十年間というもの、変革の意識というものを持ってきたのではないかと思う。だが、現在の状況の中では、若い二十歳ぐらいの人たちは、変革の意識を持てないのじゃないか。非常に簡単にいうと、昭和十年代から三十年代ぐらいの日本を大変見事に描いた、『細雪』という小説がある*7。主人公は中産階級の上ぐらいに生きる三人の女だが、その人たちの生活意識というものが、描かれている。経済の問題に全然触れていない。その頃のマスコミュニケーションの日常生活に及ぼす影響に触れていないので、この点は駄目だが*8、まだ、そこらを抜きにした場合に、大変うまく、当時の生活意識というものを書いている。二十歳から、三十歳ぐらいまでの女の人ですが……。それを読んで、気がついたのだが、彼女らには歴史的な感覚というものがないということだった。それはどうしてかというと、生まれたときと、現在の間に、根本的変革というものがないということです。安東さんにしても、鶴見さんにしても、ぼくにしても、そこで一つ共通していることは、二十一年前に根本的変革を経過しているということです。日本のジャーナリズムを、いま指導している人たち、日本の運動を指導している人たち、論壇の人たち、あるいは労働組合を指導している人たちなどはすべて、そういうものを経過してきた人たちが当たっていると言えると思う。
ところが『細雪』の主人公に戻ると、彼女たちは、生まれてきたときから現在までの間に、根本的な変革はない。過去というものは、現在の延長としてみており、未来は現在を拡大した形で見ている。根本的変革がなかったから、その間に切れ目がなく、人生は続いている。日本の社会自体切れ目がないという状況がある。ところが運動の指導者たち、あるいは思想家たちは、切れ目のある経験をみんな持っていて、現在の社会というものは、なんとなくかりそめの人生で本当の人生がどこかにあるという意識が強いのではないか。それが過去にあると思っている人たちもいるし、逆に未来にあると思っている人たちもいる。ところが、ぼくの教え子たちを見ていると、二十歳、二十一歳ですが、その連中がものごころついたときというのは昭和三十二年ぐらいです。昭和三十二年と現在の間に根本的変革というものはない。昭和三十二年とこの間には、量的変化はあったと思うが、質的変化というものはない。占領体制は昭和二十七年において一応終っていた。講和条約が締結され独立国として成立した。日本は、曲りなりにも、民主主義が成立し、独立国の状態になったところで、彼らは精神的に目覚めた。そういうことは、過去を見た場合切れ目がないということと未来を見た場合拡大解釈できるということです。六年前に、ぼくがアメリカにいたとき強く感じたのも、過去と現在の間に、アメリカ人が切れ目を感じていないという事実だった。それは今でも続いているが、現在のアメリカにはそうした切れ目を意識的につくろうとする努力があると思う。それがアメリカの現在のニュー・レフト運動の基礎であると思うのですが、彼らの場合、切れ目をつくろうとする努力の出発点はむしろ道徳的なものであると思う。(後略)(pp.18-20)
ただ谷崎潤一郎の立場からすれば、『細雪』で描こうとしたのは、連続的・累積的に経過するにせよ(進歩主義)「切れ目」(断絶)を伴って経過するにせよ(革命思想)、「歴史」そのものの否定、或いは(四季の如く)循環する世界ということだったともいえるのではないか。
細雪 (上) (新潮文庫)

細雪 (上) (新潮文庫)

細雪 (中) (新潮文庫)

細雪 (中) (新潮文庫)

細雪 (下) (新潮文庫)

細雪 (下) (新潮文庫)

小松左京奈良本辰也真継伸彦、松浦玲が出席した「歴史を語る」(1969年3月)における小松左京小田実の問答;

小松 絶対主義の問題として、死ぬのが怖いという絶対主義の人がいる。小田なんかそうだと思うが。だったら子供をこしらえたらいい。子供がいれば死ぬのが怖くなくなる時期がくる。
小田 俺はそんなふうに子供をこしらえたいとは思わないし、子供なんか欲しくない。自分とは別の人間との分け方としても子供はいらない。
小松 子供をつくらないという考えは正当なものではない。まず第一に人類が滅亡してしまうよ。
小田 くだらん理屈だよ、そんなの。
小松 冗談じゃない。だから小田には世の中のことがさっぱりと分からないんだ。
松浦 ところで、さっきの怖くなくなる時期についてだけど、小松さんにはきてるの?
小松 もうじきくると思う。
小田・奈良本 (笑)(p.224)

*1:http://b.hatena.ne.jp/morimori_68/20120305#bookmark-83909917

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070805/1186334685 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080301/1204335746 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081226/1230259822 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100211/1265860665 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110619/1308423176

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070918/1190142765 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110703/1309705169 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110729/1311868234 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110815/1313379398 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120307/1331147389

*4:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090810/1249904638

*5:肩書きは「学習院大学学生」となっている。矢崎泰久の「編集後記」によれば、「掲載時のまま出版することを条件に、全員の方にご了解をいただくためのお手紙を差し上げたが、渡辺真理子さんには、ついに連絡が取れなかった」(p.379)

*6:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070902/1188716333 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080310/1205085875 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080912/1221241060

*7:細雪』の舞台は「昭和十年代」であって、戦後すなわち「三十年代」は出てこない。何しろ戦争中に書き進められたものなので。

*8:細雪』では映画を観に行くという経験はそれなりに重要性を与えられている筈だ。