「浜」の話

岩波新書には奥付のところに著者の紹介があるものなのだけど、この1942年に刊行され2019年に復刊された殿木圭一『上海』にはそれがない。「はしがき」には「一九三七年九月から一九四〇年八月に至る私の上海同盟通信社当時のノートを基礎に、上海のあらましを把まうとしたのが本書である」と書かれているが(p,1)*1、こういう人であるようだ;


殿木 圭一
トノキ ケイイチ

昭和・平成期の通信記者,新聞学者 (財)新聞通信調査会理事長;文教大学名誉教授;元・東京大学新聞研究所所長。



生年明治42(1909)年7月28日
没年平成6(1994)年8月16日
出生地東京
別名筆名=三谷 七郎
学歴〔年〕東京帝国大学経済学部〔昭和7年〕卒,東京帝国大学大学院〔昭和9年〕修了
経歴大学新聞編集長から昭和9年新聞連合に入社、のち同盟通信海外特派員、共同通信記者を経て、共同通信ラジオ・テレビ局長。37年東京大学新聞研究所教授、38年所長を務める。45年日本大学新聞学科教授、56年文教大学情報学部長。また日本新聞学会会長、放送番組向上委員会委員長を歴任した。著書に「国際コミュニケーション論」。
(『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004)
https://kotobank.jp/word/%E6%AE%BF%E6%9C%A8%20%E5%9C%AD%E4%B8%80-1650410


殿木圭一 とのき-けいいち

1909-1994 昭和-平成時代の社会学者。
明治42年7月28日生まれ。昭和9年新聞連合に入社。後身の同盟通信,共同通信をへて,37年東大新聞研究所教授,38年同所長。のち日大教授,文教大情報学部長。放送番組向上委員会委員長などをつとめた。平成6年8月16日死去。85歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「国際コミュニケーション論」など。
(『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』)https://kotobank.jp/word/%E6%AE%BF%E6%9C%A8%E5%9C%AD%E4%B8%80-1094843

1993年まで生きたんだ!
さて、この本の最初の方に、「洋涇濱」という言葉が出てくる(p.5)。予め言うと、この表記は間違っている。正しくは「洋涇浜」。この「浜」というのは「濱」の略字ではない。因みに、中国における「濱」の略字(簡体字)は「滨」。「浜」はbangと念み、水路(クリーク)を意味する*2。上海附近の地名以外では殆ど使われないのでは? 「洋涇浜」は現在の延安路の場所を流れていた。仏蘭西租界と共同租界の境界をなしていた。中国人と外国人が交わる場所であり、中国語では所謂「ピジン・イングリッシュ」のことを「洋涇浜」と謂う*3。クリークという意味の「浜」をわざわざ「濱」に改めてしまうという例はこれ以外にも幾度か見たことがある。戦前既に(略字としての)「浜」は広く使われており、活字を拾う植字工が原稿の「浜」字を見て、「濱」という活字を拾ってしまったのだろうか。或いは、植字工は「浜」を拾ったものの、校閲者が「濱」に改めてしまったのだろうか。
「はしがき」に戻ると、「万事混沌としてゐるのが上海の真の姿であり、それが克服された暁は上海は上海でなくなる」と書かれている*4