「画家」の「版画」

朝日新聞』の記事;


平山郁夫らの偽版画を制作・販売した疑い 元画商と作家逮捕
9/27(月) 9:33配信


朝日新聞デジタル

 平山郁夫(1930~2009)*1ら有名画家の作品をもとに作られた偽の版画が大量に市場に流通していた問題で、警視庁は27日朝、大阪市北区で画廊を経営していた元画商の加藤雄三(53)と、奈良県大和郡山市で工房を営む版画作家の北畑雅史(67)の両容疑者を著作権法違反の疑いで逮捕した。捜査関係者への取材でわかった。

 2人は遺族らに無断で贋作(がんさく)を制作・販売し、多額の利益を得ていた疑いがあるという。

 版画は画家や遺族の了解の下、枚数を制限して制作・販売する。画家本人や依頼を受けた版画作家が石や銅などで原版を作り、刷った紙に真作の証しとして画家のサインや印を入れるのが一般的だ。1枚しかない絵画と違い、有名画家の真作を1枚十数万~150万円ほどで買えるため、一定のニーズがある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/47b7bde435fec6f3713184be8c1915d506622f2c

NHKの報道によれば、東山魁夷*2片岡球子*3のも製作・販売していたという*4
「偽の版画」とか「贋作」という言葉が出てくるのだけど、この事件は逆に、アートにおける真偽というのそれほど簡単な問題ではないということを示してしまったように思える。行ってしまえば、ここで謂われている「版画」というのは公認の限定版レプリカのようなものだ。これを、画家の(素描やデッサンも含めた)肉筆作品と同等にオーセンティックなものとして扱っていいのかどうか。みんな悩むんじゃないだろうか。それでも、「平山郁夫」の作品だといえるのは、平山本人がプリントの仕上がりに責任を持ち、署名をしたことによってだろうか? マルセル・デュシャン*5が便器に署名することによって「デュシャン」の作品が成立するというのと同じロジックが働いていることになる。とすると、「画家」の死後における「版画」化というのは生前のとは全く違うものだということになる。平山郁夫が死後に「版画」の刷り上がりをチェックして署名することは不可能だからだ。もしかして、今回捕まった2人の罪ということだと、勝手に「版画」を作っちゃったことよりも、署名や落款を偽造したことの方が重大なのかも知れない。これって、有印私文書偽造になるのか?
何年か前に、画家とイラストレーターはどう違うのかということがネットで話題になった。私見では、画家の場合はメディアは何であれ、肉筆の絵がそのまま作品として完結するけど、イラストレーターの場合は絵は最終的な作品の素材でしかなく、作品の最終的な形態は(印刷された)ポスターや本のジャケットなどになる。この「画家」公認リトグラフ問題は、画家とイラストレーターの区別も再度曖昧にしてしまうのでは?


「贋作」事件ということで、2012年に起こった李禹煥贋作事件*6を思い出した。この事件では、第三者の鑑定で偽物と判断され、犯人も偽作の罪を認めているのに、当の李禹煥氏が問題の絵画を自らの真作であると主張したのだった。