「陸沈」など

谷口功一「疫禍と字典」『パブリッシャーズ・レビュー』193、p.1、2020


谷口氏は東京都立大学法哲学の先生で、「スナック研究会代表」であるという。
少し抜書き。


連日、生々しい数字や統計が「戦争」の比喩をもって喧伝されるのに、ある時から倦み果てて、意識的に目にしないこととした。藤原定家は『明月記』の中で「紅旗征戎非吾事(朝廷の旗を押し立てて外敵を征伐するのは私には関係ない)」と記したが、まさにその心持ちである。
定家は外界の事象を「非吾事」と突き放して新古今の狂言綺語の世界に沈溺沈潜したわけだが、私もまたそのひそみに倣い、長年の懸案だった『世説新語』一一二〇条(井波律子訳、平凡社東洋文庫、全五巻、2013~14年)毎日少しずつ読み始めた。
今を遡ること一五〇〇年以上前、所謂「さんごくじだいの前後に生きた人びとの営みを描いた説話群を世情とは一切かかわりなく、ただ毎日、淡々と読み進めることを己に課し、そのような時間を構造化するのはある種の《思考の安全地帯》の構築であり、この間、拳々服膺した「いかにして情報を受け取らないか」という試みの一つでもあったわけだが(五月一三日、訳者の井波氏の訃報*1に接した)。

人との交わりを立たれ続ける中、ある日、斯波六郎『中国文学における孤独感』(岩波文庫、一九九〇年)を久しぶりに手に取った。もう三〇年近く前に買った本だが、折にふれて手に取る本である。
冒頭、「孤独鰥寡」という言葉が出てくるが、「老いて子なきを《独》、幼にして父なきを《孤》、老いて妻なきを《鰥》、老いて夫なきを《寡》」という下りがある。それぞれが「独身、孤児、男やもめ=やもお=鰥夫、寡婦(やもめ)」に対応しているわけで、われわれが「孤独」として観念する事柄についての漢字表現の豊かさには驚かされるばかりである。
他にも「多勢の中にいながら、どうしても、周囲の人びとと打ち解けて融合することを好まぬ」ような人を《陸沈》と呼ぶという話も出て来るが(荘子・則陽篇)、水に沈むのは当然であるところ陸でも沈んでしまうというのは、「人びとの中に居ながら、それらと融合できないこと」の喩えとなっているわけである。
中国文学における孤独感 (岩波文庫)

中国文学における孤独感 (岩波文庫)

荘子 第3冊 外篇・雑篇 (岩波文庫 青 206-3)

荘子 第3冊 外篇・雑篇 (岩波文庫 青 206-3)

  • 作者:荘子
  • 発売日: 1982/11/16
  • メディア: 文庫

西洋にも似たような話はあり、政治哲学者のハンナ・アレントはlonelinessとsolitudeを区別し、前者を打ち棄てられたようなネガティブな孤独、後者を自ら内部において充足するようなポジティブな孤独として提示している(『全体主義の起源』)*2
先述の『中国文学における孤独感』の中で、このsolitudeにあたるようなものは恐らく《慎独》という言葉になるのだろう。斯波によるなら《慎独》とは、理知による自己凝視をその旨とするもののことである。
この本にしても、アレントにしても、究極的には、多くの人びとのただ中に居るにもかかわらず生まれ出づる孤独のありように、道徳や政治の観点から関心を抱いているわけだが、われわれが直面した、完全に物理的な接触を断たれた厳密な意味での隔離(isolation)の下に置かれながら、他方ではネットを通じて一挙に世界と繋がってしまっているような孤独は、四書五経に通じた士人に問うなら、いったい何という漢字で表わされるのだろうか。恐らく『康煕字典』にも、その字は存在しないと思われ、われわれ人類は全く新しい形の孤独に向き合っているのかもしれない。
The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

  • 作者:Arendt, Hannah
  • 発売日: 1973/03/01
  • メディア: ペーパーバック