小国綾子「あなたは今、孤独ですか。 哲学者、鷲田清一・大阪大副学長」http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070418dde012100021000c.html
「国連児童基金」による国際調査で「「孤独を感じる」と答えた15歳」の率が日本は世界でも「ダントツ」だったことを承けての鷲田清一氏へのインタヴュー。
なお、この調査については、張江洋直氏*1が既に言及している。また、http://d.hatena.ne.jp/iera/20070214/p1やhttp://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20070216#p2でも。
鷲田さんは、
といい、「ところが日本では『ソロでいる=ソリチュード』を『独りぼっち=アローン(alone)』と同様、ネガティブに受け止める人が多いんですよ」という。また、その理由を「自由な社会」の「難儀」に求める;
孤独って感じるもの。一人の時に『私は私』と思うか、仲間外れにされたと思うか。日本の子は孤独というより、人から見捨てられることに弱くて敏感。孤独は英語でソリチュード(solitude)。つまりソロでいること。でもバイオリンのソリストを見て孤独と思う?
「孤独」について語るとき、それがsolitudeなのかlonelinessなのかということは重要だ。私は前者を「独居」、後者を「孤独」としているが、それは暫くさて措く。何よりもここで問題なのはsolitudeをlonelinessと取り違えるということ、「孤独でいられない孤独」なのだ。鷲田さんによれば、それはもうひとつの取り違えと関係していることになる。「お受験」を巡って曰く、「不合格だの不採用だのは『おまえは要らない。存在価値がない』というメッセージ」。私がよく使う言葉で言えば、whoとwhatの取り違えである。また、「空気を読め」について、「場を壊さないよう、浮かないよう、ヒリヒリした思いで演技して疲れ、一方で『これは本当の自分じゃない』と孤独になっている」。
だって、何にも家柄や身分のせいにできなくなってしまった。自分とはどういう人間なのか、自分の存在価値とは何なのかを、自力で証明することを求められる。唯一無二の『わたし』を自力で探さなければならない。だから、高度消費社会と同時に『自分探し』ブームが始まったわけ
ここで、張江氏のコメントを引いておく。鷲田さんと近いことを言っているんじゃないかと思う;
そういえば、私は「孤独」について、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050630、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060915/1158340807、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061213/1166024435、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061226/1167151875、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061227/1167232194とかで言及している。
とはいえ、ここのところ大きな社会問題化している「いじめ現象」に端的に現れているように、「仲間というあり方」に異様という他はない「細心の注意」を払い合う「現在の子どもたち」であれば、「孤独を感じる」という数値が先進諸国で「飛び抜けて高い」結果が出るのもうなずける話ではある。
相互的に「病的に配慮し合う」、云わば「関係の蟻地獄」において感じる「孤独」は、おそらくは「雑踏のなかの孤独」よりもはるかに乾いた印象を拭えない。