「個」と「衆」

knakajii「福田恆存の「政治と文学」」https://knakajii.hatenablog.com/entry/2021/01/12/115217


私が読んだのは中公文庫版で、『現代人は愛しうるか 黙示録論』というタイトルだった。メイン・タイトルとサブタイトルが反転した仕方で、ちくま学芸文庫から出ているのか!
取り敢えず、備忘のためにコピペしておく。


第一次「大戦の結果」のヨーロッパを見ながら、ロレンスは、死の直前に『黙示録論』*1の執筆に向かわざるを得なかった。そして数年後、第二次大戦の開戦と先を競うように、福田恆存*2はその翻訳に急き立てられることになる(出版にこぎつけたのは、戦後一九五一年)。両者にとって、眼前の民主主義(革命)が問題だったことは言うまでもない。(後略)

知識人は、個人としては知識人でも、いざ大衆の心=集団的自我に触れれば、知識人のままではいられない――。ロレンス『黙示録論』が示しているのは、このいわゆる知識人―大衆という図式の崩壊だった。アポカリプス=終末とは、ほとんどそのことを意味している。すなわち「転向」の問題にほかならない。終末とは「ユダの季節」(江藤淳)であり、しかもキリストがいないまま「裁きたい」と言うユダの群れの時代なのである。

 福田恆存が、「この一書によって、世界を、歴史を、人間を見る目を変えさせられた」と、ロレンス『黙示録論』に震撼させられたのは、この文脈においてであろう。この期に及んで民主主義(革命)などあり得るのか。福田が、戦後「政治と文学」論争にコミットしたゆえんである。