ナショナリズム/ポピュリズム

松浦大悟さんのhttp://daico.exblog.jp/3083791/ナショナリズムを巡る小熊英二氏のインタヴューを転載している。
先ずは、ナショナリズムとその基盤の変質;


政治学者の丸山真男は、敗戦直後の論文で、以下のように述べていました。
戦前日本の超国家主義は、農村や小工場など中間共同体のボスが支持層
となり、中間共同体の構成員をひっぱっていった。
それは、中間共同体が壊れた大衆社会で人びとが原子化した個人に
なり、価値観のよりどころを求めてナチスを支持していったような
形態とは異なるというわけです。
日本ではその後に高度経済成長が起きますが、企業や労組、商工
会といった中間共同体は生きていた。「日本型経営」をたたえた80
年代の経済ナショナリズムも、その延長にあったと思います。
この社会構造を壊したのが、90年代の不況だった。企業一家主義
や終身雇用は時代遅れとされ、地方の商工会もさびれた。それまで
中間共同体に頼っていた人びとに孤立感が広がる。そこで、日本に
大衆社会型のナショナリズムが成立する基盤ができてきた。

その一つの事例が「新しい歴史教科書をつくる会」だったと思い
ます。私は学生との共著の中でこの会を調べましたが、会の一般参
加者は商工会のボスなどの動員ではなく自発的な意思で集まってい
ました。そして一般参加者の多くは無党派層で、もとは右派思想の
持ち主ではなかった。
しかし彼らは現在の社会や価値観の変化に漠然とした不安を覚え、
よりどころを求めて会に集っていたのです。
無党派層がよりどころを求めて特定の場に集ってくるという現象
は、最近の選挙にも見られます。
80年代までは、自民党は商工会や土建業者を、社会党は労組を基盤
として、中間共同体の組織票を集めてきた。ところが90年前後から
の選挙では、89年の社会党、93年の日本新党、95年の新進党、90年
代末の民主党というふうに、その時々の「風が吹いた」政党が、無
党派層の浮動票を集めて水膨れする現象が起きるようになった。
日本の「保守」における「思想的な核」の不在;

ただし日本の保守に思想的な核がないのは、今に始まったことで
はない。これは日本の近代化のあり方に関係していると思います。
他国の保守、例えばアメリカなら、経済を含めた自由主義思想が
保守派の核です。またヨーロッパなら、貴族やブルジョア層の思想
というか生活様式が、保守派の核だった。しかし日本では、下級武
士の起こした明治維新以来、政府主導で文明開化が進められた。だ
から上層貴族の生活様式も、自由主義経済思想も、保守の思想的核
になりえなかった。
こういう違いは、保守派の行動の相違にも表れています。例えば
ヨーロッパの環境保護運動は、貴族たちが狩りをする森を守ろうと
するなど、歴史的には保守層から始まっています。一方で日本の自
民党は保守政党と言われますが、乱開発で自然を破壊してきたあの
政党がいったい何を「保守」してきたのでしょうか。政治家が自分
の利権を「保守」してきた政党だというならわかりますが。
また戦後日本の代表的な保守論者といわれる小泉信三や田中美知
太郎、福田恆存なども、各人の思想はばらばらで、共通性は,「左派
嫌い」という以外に何もありません。だから戦後日本の保守論者が
やってきたことは、「左派の主張は非現実的だ」といった左派批判
がほとんどだったと思います。
それでも戦前から戦後のある時期まで、日本の保守にも天皇とい
う核が一応ありました。ところが「つくる会」では、会の大部分で
ある戦後生まれの人たちは天皇にさして関心がない。そのため、相
変わらず歴史問題などで「サヨク批判」をしたり、「伝統」とか
「武士道」とか各自が勝手に「これが日本らしさ」と思うものをた
たえることしかできないでいる。
「保守」に「思想的な核」がないので、現在顕在化している〈右傾化〉は「ナショナリズム」というよりは「不安を抱えた人びとが群れ集う「ポピュリズム」」ということになる。或いは、「ポピュリズム」の表現型としての「ナショナリズム」?
また、「保守」と「ナショナリズム」とは結びつく必然性はないともいえる。「ポピュリズム」なき「ナショナリズム」は考えられないが、「ポピュリズム」なき保守主義は考えられる。歴史的に見ても、王侯貴族は国民国家に〈帰化〉しなければならなかった。

ところで、安原宏美さん*1


 以前オーストラリアにお勉強しに行っていたけど、あの国は実質国歌がふたつある。


 70年代から80年代に約10年くらいかけて何回か国民投票が行なわれ国歌が公式には決められた。投票に行かないと罰金が課せられる制度をとっているので投票率は実質90%くらいになる。4曲を2曲にしぼって2曲で決戦投票だった。


 ただ、民たち的には落ちたほうの曲が好きな人は大勢いる。「今の国歌は建前建前。まあ、あれもそれなりにいい曲だけどね」というかんじか。というわけで落ちた曲は準国歌の扱いらしい。その曲がどうして落ちたかという国歌らしくないからだ、なんてたって泥棒の歌である(笑)。それは「ウォルシング・マティルダ」という曲でいってみれば「ズタ袋をもった流浪の旅」の歌だ。放浪者の男が、羊をつかまえて食べてしまい、羊の所有者と警官に追われたため逃げて、湖に落ちておぼれ死ぬ、という・・・。


 いいのかそれ、国歌で〜みたいな(笑)。よそものながら受けた。現地の友人に尋ねたら「でも好きなんだもの。子どものときから歌ってたし〜♪ そんな程度でしょ国歌って」という反応をする。


 まあ結局、国民投票では落ちた。オリンピックでは決まった国歌を歌っているが、全豪オープンなどでは「ウォルシング・マティルダ」を大声で観客席が歌っていたりする。なんかちょっとうらやましいなと。ある意味いいかげんで大らかで。10年国民投票やったって決まらないものは決まらないのだ。

と書いている。これを読んで思ったのは、日本においてはステイトと切り離されたネーションというのははたして十全に成立しているのかどうかということだ。ここで挙げられている濠太剌利のほかにも、ウラ国歌がある国というと、韓国の「アリラン」とか。或いは、米国でも、何かあったときに皆が歌うのは、”Star-Spangled Banner”というよりは”Amazing Grace”ではないのか。尤も、韓国のような分断国家ではステイトとネーションが一致しないのは自明なことだろうけど。アメリカ国歌といえば、その西班牙語ヴァージョンが問題になっていますね*2。