「ル抜き文語」など

「保守と左翼が大嫌いだ」という*1「libertarian0606」という方のhttp://iza0606.iza.ne.jp/blog/entry/1263680/にて知る。
呉智英先生*2、「呉智英 恥ずかしい「ル抜き文語」」と題して曰く、


 「正論」十月号に現在の保守派の水準を表わす論文を見つけた。評論家で拓殖大学大学院教授の遠藤浩一の「自民敗れども保守は亡びず」である。衆院選民主党自民党を破ったけれど保守精神は実は民主党の中に生きている、ということだろうか。常識を覆す新見解だな、と読み始めたのだが、自民党の腑甲斐(ふがい)なさを嘆き、民主党へ疑問を呈し、それでも保守精神は健在だと結論づけるだけ。何だ、こりゃ。タイトルと全然違うぞ。と思ってタイトルをよく読み直すと、あーら恥ずかしや、日本語が間違っているのだった。

 このタイトルでは「自民が敗れても」という意味にはならない。「自民敗れども」なら「(民主が)自民を敗れども」以外に読みようがない。平易に「敗れても」とすれば問題はないのに、知りもしない文語表現「〜ども」を誤用して得意気だ。文語なら「自民敗るれども」である。若者のラ抜き言葉を笑えないル抜き文語だ。

 誤用の真相は編集部のポカミスらしく、筆者の遠藤には責任がないが、この本文は正仮名(俗に言う旧仮名)で書いてあるだけに一層みっともない。よく誤解されているけれど、正仮名は不合理であっても雰囲気のある仮名遣いなのではない。全く逆に論理的で整合的な仮名遣いである。そうだからこそ、石川淳丸谷才一福田恆存など、政治的な保守・革新を超えて正仮名論者がいるのだ。論理的で文化的な日本語表現こそ守らるべき日本の伝統だろう。最も醜い文化破壊は、若者のぞんざいな日本語ではなく、えせ知識人が気取って書く一見典雅、実は誤用の日本語なのである。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090930/acd0909300817004-n1.htm

久々に読む呉智英のコラム。とても真っ当なことを述べている。呉智英は終わってしまうとあるが、これは彼がまともになったから? なお、無知を晒すようで恥ずかしいが、遠藤浩一という人は知らなかった。
9月12日付けの「竹内・岩中、迷コンビ誕生!?」*3は名古屋についてのトンデモ言説を紡ぐ竹内久美子と岩中祥史に対する批判。名古屋に関しては、呉智英は準ネイティヴであった。「「ビルヂング」は三菱地所登録商標」だった? 私もラジオという表記にはむかつくけれど。
8月5日付けの「追悼「三バカ大将」」*4は、竹中労太田竜*5平岡正明*6について。彼が自分で発明した「珍左翼」という言葉はもう使わないのかしら? 太田竜の評価はその通りだと思うが、平岡正明については完全には同意しない。ところで、7月8日付けの「全共闘を論破した大学学長」では何故か大学闘争の時に多摩美術大学学長を務めた石田英一郎の話。

ところで、「誤字脱字が一番多い全国紙=産經新聞*7というのはほんとうなのか。