知っていることによって知らない

seiranzan*1「知る事の悲しみ」https://seiranzan.hatenablog.com/entry/2020/10/31/091759


曰く、


じゃあ中世以前のスタイルを用いて作曲する事が何故難しいのかというと、たとえば中世以前の人々には、旋律に和音をつけて歌うなどという発想はなかった。今、現代は?そうさ、そこらのあんちゃん、姉ちゃんだって小粋にギターを抱え、じゃんじゃんじゃかじゃかとコードを掻き鳴らしながら声を張り上げているじゃないか。誰もが旋律にはコードがくっついていて当たり前だと思っている。でも実は、人々が思っている以上にコードの力は強いんだ。コードってのはいつの間にか旋律さえも軽々と支配してしまうが、その事に気づいている人は殊の外少ない。


 おっと、話がなんだかややこしくなってしまったね。率直に言うと、要するに私はコード進行というものを知っている。そんな私がコード進行という概念すらなかった時代の人々の真似をする事は根源的には不可能だという事さ。うん、ここが難しいところだ。不可逆性とでもいうのかね、ともかく物事は一旦知ってしまえば、もう二度と知らなかった状態に戻る事はできないんだ。これが知性というものの怖いところさ。

知による無知。これは音楽に限ったことではない。