「黒い着流し姿のお侍」(平松洋子)

平松洋子眠狂四郎とコロッケ」『本の窓』(小学館)392、pp.86-90、2020*1


眠狂四郎」を語る。
先ずその序として、平松さんが住んでいた町の映画館についての記述;


私がはじめて破滅の香りを映画に嗅ぎ取ったのは、小学二年か三年生のときだった。
一九六〇年代当時、駅の近くには東映作品がかかる映画館が一軒、住宅地寄りのところに大映作品がかかる映画館が一軒あった。東映のほうには、親に連れられて「一〇一匹わんちゃん大行進」「ジャングル・ブック」などのアニメーション映画を観にいった。「わんわん物語」で観た飼い犬のレディと野良犬のトランプがひと皿のスパゲッティを食べるシーンは、いま思うと、あれはスパゲッティという食べ物を初めて目撃した視覚体験だった。なかよしのレディとトランプがおのおの咥えるスパゲッティが幅広のリボンみたいに皿から伸びる光景は、それがどんな食べ物かも知らないのに喉が鳴った。
問題はもう一軒、大映の映画館なのだった。その映画館のまえを通るとき、子どもごころに見てはいけないものを見る罪悪感がつきまとい、気がつかないうちに早足になった。見たいのに見ちゃいけない、なのに見たい、説明のつかない後ろめたさがこびりついた。
小学校に通う道すがらだったから、通らないわけにはいかなかった。通学路ではなく、そこを通ると近道だったからいつからとなく通るようになったのだ。
商店街の途中、精肉店の左脇のせまい路地を進むと、とつぜん異界が出現した。「大怪獣ガメラ*2や「大魔神*3がかかっていたときは、道ばたに展示されたポスターや実写シーンの写真(略)にびっくりしているだけでよかったけれど。(p.87)
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そして、「眠狂四郎」との遭遇;

ある日、黒い着流し姿のお侍があらわれた。
眠狂四郎
市川雷蔵が演じる妖しの美丈夫、眠狂四郎が刀剣を構え、赤いランドセルをしょった小学生をひたと見下ろしている。気を緩めたとたんに刀剣が振り下ろされそうな、異様な緊張感。鋭利な目つきに見据えられてどきどきするのだが、かといって、立ち止まってポスターや写真をじっと眺める勇気はなかった。(pp.87-88)

眠狂四郎は、柴田錬三郎の代表作「眠狂四郎」の連作に登場する主人公である。転びばてれんの父と日本人の母とのあいだに生まれ、実の父を殺めた宿命を背負いながら、隠密として死の翳をまとわせる男。一九五六年、「週刊新潮」で「眠狂四郎無頼控」がスタートするなり大評判をとり、さっそく映画化された。同年、最初の東宝作品版の京志郎役は鶴田浩二。おのあと大映作品に移行し、「眠狂四郎殺法帖」(六三)から「眠狂四郎悪女狩り」(六九)まで全十二作、市川雷蔵の当たり役になった。じつは六九年、市川雷蔵は肝臓がんを患って三十七歳の若さで逝去するのだが、最後の出演作になった第十二作の撮影のときにはすでに体力が弱っており、立ち回りは代役がおこなったと伝えられている。その後、松方弘樹が狂四郎役を演じて二作の映画が公開されたけれど、興行はうまくいかなかった。つまり、映画のなかの眠狂四郎市川雷蔵の死によって封印された。
のちにテレビ化もされている。七〇年代には田村正和が、八〇年代には片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)が演じているだが、映画館のまえを通るだけで足がすくんだ体験に縛られている私にとっては、「雷さま」の狂四郎しかあり得ない。
しつこいようだが、いや何度でも書きたいのだが、狂四郎の佇まいは異様だった。孤独だった。隙がなかった。かっこよかった。美しかった。(p.88)

実をいうと、「眠狂四郎」は、(積極的に避けているというわけではないのだが)小説も読んでいないし、映画も観ていない。視たのは田村正和主演のTVドラマだけなのだった。

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すっかり大人になってから柴田錬三郎の小説を立て続けに読み、名画座雷蔵出演の映画を観たのだが、ポスターで狂四郎が刀剣を構えていた型の名前が「円月殺法」だと知ったときのカタルシスときたら、なかった。なにからなにまでがかっこよすぎるじゃないか。さいとう・たかをが創り出したスーパー・スナイパー、ゴルゴ13*4が世の中に登場するのは六八年だが、ダンディで冷徹なゴルゴ13の人物像のなかに、眠狂四郎の美学が存在しているおt勝手に推察している。贔屓の引き倒しだろうか。(ibid.)
さて?