Untitled

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110818/1313646375に対して、


nessko*1 2011/08/19 00:35 アメリカン・ニューシネマは、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響がやっとアメリカで顕在化したというのはあると思います。
ロックでも、イギリスのニューウェーヴの影響がアメリカではっきり現れるのは、遅かった。ニューヨーク・パンクというのもありましたが、ニルヴァーナレッチリなどが出てきてやっとニューウェーヴが出てきたというかんじがしました。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110818/1313646375#c1313681721
ヌーヴェル・ヴァーグとニュー・シネマの間には人脈的な繋がりもあったと思うのですが、ちょっと調べはついていません。
パンクそれ自体は紐育起源だったわけですが(例えば、Matt Mason Pirate’s Dilemma*2)、パンクといえば倫敦というイメージができちゃったのはやはり西太后*3夫妻、特にマルコム・マクラーレン*4マーケティング力のおかげでしょうか。紐育にはラモーンズもいましたし、パティ・スミスやトーキング・ヘッズの活動にも注目してはいました。「ニューヨーク・パンク」とは別枠で紐育におけるニュー・ウェイヴといえば、アート・リンゼイらの活動、それからジョン・ゾーンビル・ラズウェル一派の活動ということになるでしょうか。後者の場合、パンク・ジャズといわれることもあったと思います。ニルヴァーナがブレイクした時期というのはちょうど音楽そのものをあまり聴いていなかった時期だったのですが、R.E.M.は既に80年代にブレイクしていたと思いますし、あと私のお気に入りだったTimbuk 3*5というのもいましたが。
The Pirate's Dilemma: How Youth Culture Is Reinventing Capitalism

The Pirate's Dilemma: How Youth Culture Is Reinventing Capitalism

Greetings From Timbuk 3

Greetings From Timbuk 3


また、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110818/1313639595に対して、

秋菊 2011/08/19 02:58 >1950年代において低学歴な人は映画監督になる途を既に閉ざされていた
おおっ、目からうろこのご教示です。実は、母方の伯父(慶大卒)は、60年代大映で助監督やっててワイダに憧れてポーランドに映画留学までさせてもらったんですよ。その後大映つぶれてその路は絶たれてしまいましたが。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110818/1313639595#c1313690303
戦前・戦中にデビューした小津安二郎黒澤明は大学に行っていないのですが、戦後デビューの監督だと、三下やくざから映画監督になった若松孝二は例外的な存在でしょう。1970年代になると、映画会社が助監督を採用するということ自体がなくなってしまった。
それはそうと、「60年代大映で助監督」ですか。凄い! ということは、『大魔神』とか『大怪獣ガメラ』とかにも参加されていたのでしょうか。「大映」という会社もその後あれこれあって、2003年には法人自体が消滅してしまったのですね。ただ、子会社だった、そして1970年代から80年代にかけて一世を風靡した「大映テレビ*6はまだあるようですが。
大魔神 [DVD]

大魔神 [DVD]

大怪獣ガメラ [DVD]

大怪獣ガメラ [DVD]