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Talpidae*1 2011/08/20 12:13 とりあえず、『未知との遭遇』にトリュフォーが出ていることは確認しておいてよいかと。あと、米国でパンク、ニュー・ウェイヴといえば『ノー・ニューヨーク』(1978)が外せませんよね。それから、REMに続くバンドとしてピクシーズをあげたいですね。2nd一曲目Debaserがかっこいい。そして、私もそのあたりからチャートに入る音楽をあまり聞かなくなってしまうのですが ---。
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アート・リンゼイもNo New Yorkに関わっていましたよね。米国におけるニュー・ウェイヴというと、オハイオ州アクロンからいきなり出てきたDevoがいますが、No New YorkにしてもDevoのデビュー・アルバムにしてもプロデューサーはブライアン・イーノ*2で、イーノは、一旦英国(倫敦)にお株を奪われたかたちのニュー・ウェイヴを米国に定着させた仕掛人だったともいえるのでは? 彼はトーキング・ヘッズのRemain in Rightなど3枚のアルバムをプロデュースしていますし。また、1970年代後半からイーノの盟友のひとりであるロバート・フリップが活動の拠点を紐育に移し、ブロンディなどに接近していたということもあります。Pixies*3は勿論散発的に聴いたことはあるのですが、基本的にはuncheckedなバンドでした。そういえば、音速青年(Sonic Youth)の結成は1981年、レコード・デビューは1982年でした。
Q: Are We Not Men? We Are Devo

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Remain in Light

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秋菊 2011/08/20 15:45 どういう作品に参加したのかは聞いてないのですが、大映でワイダに憧れてポーランド留学、という時点でなんかわかるような… きっぱりと大魔神ガメラに行っておけば…w 伯父は、その後テニスのプロモーターとなりテニスブームのとき大もうけ、のち会社倒産、など波乱万丈の人生でした。ちなみに私の母はこのときの兄に影響され、俳優座養成所〜文学座新人会という青春を送ってますww
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110819/1313782620#c1313822736
ただ。「助監督」の段階では仕事は選べなかったと思いますが。「テニスのプロモーター」って、ジョン・マッケンローが活躍した時代でしょうか。因みに、生まれて初めて観た新劇は文学座でした。

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nessko 2011/08/20 14:44 >読みたい本・買いたい本がわかっているというのが前提

『ぴあ』というのも、それが前提で成り立っていたガイドブックだったんでしょうね。
『ぴあ』を片手に友だちと出かけた思い出に愛着がある世代の人は、ぴあ休刊で青春が消えたような気持ちがしたのか大げさに語っていたけれども、『ぴあ』便利だったという人は、その前に別のもので勉強してた筈なんですよ。それが何だったのかはあまり触れられない。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110819/1313772926#c1313819090

「『ぴあ』便利だったという人は、その前に別のもので勉強してた筈なんですよ」。多分、音楽雑誌や映画雑誌を読んでいたり、ファン同士の口コミがあったと思います。また、実際に映画や芝居を観たという経験が「前提」になっていたということもあると思います。例えば、こないだゴダールの新作を観たからゴダールの旧作を何処かでやっていないかなと『ぴあ』を捲ってみるとか。ともかく『ぴあ』は女の子を落とすための〈デート・マニュアル〉としては役に立たなかったので、後発の『東京ウォーカー』に負けた理由はそこにあったのでは?