「ナチスも顔負け」では済まない

承前*1

大西恒樹問題だけど、その「最終的処分」を「総会」で決するということになったのだという。
れいわ新選組の大石あきこさん曰く、


「リンク先」とは、


「大西つねき氏について(続報)2020年7月8日」https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5077/


という文書。
さて、この大西恒樹問題を巡って、岩上安身氏*2がIWJ編集部名義で、


「れいわ新選組の公認候補である大西つねき氏がナチスも顔負けの「高齢者の命を選別すべき」と発言!! しかも「生命の選別しないと駄目だ」「その選択が政治」とまで言いきる! しかし、れいわ代表の山本太郎氏は大西氏を「除名しない」と声明!!」https://iwj.co.jp/wj/open/archives/477830


というテクストを発表している*3。これは資料的価値の高いテクストだと思った。
さて、ここで使われている「ナチスも顔負け」という表現。これは別に岩上氏のオリジナルではなく、これに限らず、特に優生思想的或いはレイシズム的な所行や言動を形容するのに、けっこう気軽に使われているのではないかと思う。しかし、特に優生思想を考える場合に、「ナチスも顔負け」という表現はかなり致命的な意味で不適切だろうと思う。何故なら、優生思想というのは「ナチス」だけの問題ではないからだ。近現代の政治思想或いはイデオロギーはどれも優生思想に(少なくても過去において)関わったことがあり、「ナチス」云々と他人事として片付けることは許されず、自らのこととして向き合う責任を有しているのではないかと思う。ファシズムスターリン主義は勿論のこと、自由主義保守主義社会主義社会民主主義)も、或いはフェミニズムも優生思想に関しては、無罪を主張できないのではないか。実際、ヨーロッパにおいては、今回の新型コロナウィルス禍を契機として、これまでは潜在していた優生思想が再度表面化している。北欧の社会民主主義福祉国家)における優生思想問題を論じた市野川容孝氏の論攷*4をここでもマークしておく;


市野川容孝「汚名に塗れた人びと」『みすず』No. 449, pp. 14-22, 33、1998 http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/ichinokawa/omei.html
市野川容孝「福祉国家優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」『世界』1999年5月号、pp.167‐176 http://www.arsvi.com/1990/990501iy.htm


ところで、日本において優生思想問題に対する関心が高いのかどうかもわからないということもある。数年前に、高山義浩氏が脱北した医師に北朝鮮の医療状況について尋ねた記事を発表した*5


―― 法定感染症の患者について、適切に隔離は行われているのか?


北朝鮮では、感染症は治療が難しく、致死率が高いが、伝染経路の遮断は容易である。それは、独裁国家という特性から「命令」で患者を隔離できるからだ。感染経路を遮断することは、適切である以上に積極的に行われている。

たとえば、北朝鮮において治療することができないエイズ患者は、ある離島に完全隔離している。障害者は強制的に去勢している。人権無視の国家なので、党が指示すれば無条件で何でも実施することができる。感染症の予防にも党が介入している。

かなり衝撃的で重要なことがさらっと書かれている。北朝鮮に対するアンチもこれをネタに攻めるのを見なかったし、北朝鮮支持者もデマだとか歪曲だとか、反論するのを見なかった。どちらにとっても、これは取るに足らないことだったのか?