岩上安身meets フリーメイソン(1995)

岩上安身「ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち」(『別冊宝島』233「陰謀がいっぱい 世界にはびこる『ここだけ』の正体」、1995)http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/fmei.htm


最近何かと評判がよくない岩上安身によるフリーメイソン*1「日本グランド・ロッジ」幹部会見記。言うまでもなく、1995年はオウム真理教地下鉄サリン事件を惹き起こした年。因みに冒頭で言及されている「オウムについてのあるシンポジウム」というのは、先月言及した*2吉本隆明+プロジェクト猪『尊師麻原は我が弟子にあらず オウム・サリン事件の深層をえぐる』(徳間書店、1995)という本の元にになったシンポジウムである。岩上氏の目的は当時オウムがぶち上げていた「ユダヤフリーメーソン陰謀論」を、フリーメイソンの当事者に直接取材することによって、論駁することであろう。この目的は(私が呼んだ限りでは)成功していると思う。

尊師麻原は我が弟子にあらず―オウム・サリン事件の深層をえぐる

尊師麻原は我が弟子にあらず―オウム・サリン事件の深層をえぐる

さて岩上氏は、フリーメイソンの存在が「オカルト雑誌を通じて多くの若者の間に浸透」しており、オウム信者たちは「仮想敵であるフリーメーソン」に「本気で立ち向かっている」という高橋克彦氏の発言を引いている。たしかに『ムー』の愛読者とかの間ではそうだったろう。しかし、高橋氏のいう「多くの若者」が「若者」全体のうちでどのくらいの割合だったのかというのも問題であろう。勿論私も、岩上氏や高橋氏と同様に、オウムの暴走というのが1980年代的なポップ・オカルティズムのダークな帰結としての側面を有していたということに異議はない。ところで、「日本グランド・ロッジ」「元グランド・マスター」であるリチャード・クライプ氏は、岩上氏のインタヴューに答えて、日本において「フリーメーソン」が様々な〈誤解〉を受けていることを、自らの経験を通して語っている。『ムー』の愛読者のようなオカルト・オタクとか西洋思想史に何らかの関心を持っている人ならばともかく、〈誤解〉ではあれ一般の日本人がフリーメイソンに興味を持っているということの方に驚いた。これは『ムー』のような「オカルト雑誌」の影響には還元できないだろう。
ところで、フリーメイソンに対する無知や誤解というのは、日本人の、自文化に対する或る種の忘却と関係があるのかも知れないという気がする。日本でも(例えば)大工が聖徳太子信仰によって結ばれていたということはある*3。また〈仁義を切る〉というのはやくざ映画の影響で博徒のそれのみが知られているという感じだろうけど、実は様々な職人集団に独特な〈挨拶の仕方〉が伝承されていた。こうしたことを念頭に置けば、西洋の石工集団だって決して奇異ではない筈なのだ。秘密結社といえば日本には茶道がある。(最近米国に流行して日本にも追随者がいるそれ*4とは無関係な)茶会ってミニマムでテンポラリーな秘密結社だよね。
岩上氏がフリーメイソン関係の参考文献として挙げているのは、湯浅慎一『フリーメーソンリー』(中公新書)、吉村正和フリーメイソン』(講談社現代新書)。この2冊は遺憾ながら読んでいないのだが、澁澤龍彦『秘密結社の手帖』も参照されている*5。おお懐かしい!
秘密結社の手帖 (河出文庫 121G)

秘密結社の手帖 (河出文庫 121G)

さて岩上氏曰く、「知識人たちが「バカらしい」と切り捨て、サブカルチャーの薄暗がりへ追いやってきた超能力や終末予言などのオカルト、あるいはユダヤフリーメーソン陰謀論などの「トンデモ本」的ジャンク情報が、いつのまにかある臨界点を超えるまでに無批判に積み上げられ、ついに爆発した。その結果がサリン事件ではなかったか」。たしかに。ネット上に「ユダヤ」だの「フリーメーソン」だのが氾濫している状況について、これはオウム真理教に関する知的な総括がなされていないということだと述べたことがある。とはいっても、ネットにおける陰謀理論な人たちは「サリン」を撒くということはしない。これは良心の現れなのだろうか、それともたんに度胸がないだけなのだろうか。