医学史的問題

朝日新聞』の記事;


産科医、知的障害の患者に「結婚できないでしょ」発言

2016年1月22日16時31分


 長崎大病院(長崎市)の女性産婦人科医が昨年7月、重度の知的障害がある20代の女性を診察した際、「生理は子を産むため。将来、彼氏も結婚もできないでしょ」と女性を差別するような発言を母親に対してしていたことがわかった。病院は昨年12月、母親に謝罪した。

 病院によると、女性は昨年7月、生理不順を訴え、母親とともに受診。医師は診察後、母親に顔を近づけて「生理は何のためにあると思いますか。子を産むためでしょ。将来、彼氏も結婚もできないでしょ」と発言した。

 翌8月、母親がこうした発言について、「なぜあんなことを言うのか理解できない」と病院の意見箱に投書して発覚。院長が会長を務める意見箱の検討会は、障害のある人に配慮するよう医師を注意した。

 ただ、女性側への連絡はしなかった。12月に母親が説明を求めたのを受け、産婦人科の別の医師が母親と面会し、不適切な発言だったと認め、謝罪した。

 発言をした医師は「妊娠や診療の心配はないことを伝えたかった」と話しているという。病院は「差別的な発言で、申し訳ない」としている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ1Q3JHSJ1QTOLB003.html

この事件はこの「女性産婦人科医」をトンデモな差別主義者として糾弾するだけでは済まない要素を含んでいるのだろうと思う。かつては、国さらには体制を問わず、障碍者少数民族に強制的不妊手術を施すということが大っぴらに行われていたわけだが、彼女は、そういう歴史的事実を知っていたのかどうか、さらにはその意味について考えたことがあるのかどうか。そうした問題は、彼女が受けた医学教育でどのような扱いをされていたのか。そのような疑問が浮かんでくる。高等教育の脱教養化(脱人文化)*1の効果?


See
市野川容孝「汚名に塗れた人びと」『みすず』No. 449, pp. 14-22, 33、1998 http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/ichinokawa/omei.html
市野川容孝「福祉国家優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」『世界』1999年5月号、pp.167‐176 http://www.arsvi.com/1990/990501iy.htm
拙エントリー「強制不妊手術」http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091127/1259285117
拙エントリー「過度の優しさというかお世話様というか」http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091217/1261074876