勇夫だと思った人はいるのか

今から書こうとしている話の半分は以前既に書いていた*1
「今田勇子」は宮崎勤の筆名だった。紀貫之じゃないけど、宮崎は女性を装っていたわけだ。私の記憶では、「今田勇子」のテクストに関して、それが女性によるものかどうかを疑い、本当は男性が書いたのではないか? と疑う人はいなかった*2。「今田勇子」のテクストを、〈女〉性に関する自己の理論と絡めて、得々と解釈する人が多かった。何故? それは「今田勇子」テクストが(当時*3)日本社会で流通していた女性本質に関するステロタイプをそのままなぞっていたからだろう。しかも、社会性に難があるとされたキモオタの宮崎によって! しかしながら、仮令少数であっても、当時、「今田勇子」は男だと判断した人はいたんじゃないか? もしいたとして、その人は何を根拠にそう判断したのだろうか。まあ、これは1980年代の日本における二大女性差別文書であると、いうことはできるだろう。もうひとつは、連合赤軍永田洋子*4に対する東京地裁の中野武男による一審判決。