表出できなければ

承前*1

「意識混濁」の片山虎之助参議院議員進退問題の進捗状況は全くわからない。
さて、「意識混濁」というのは家族や医師などの他者によって「意識混濁」だと認定されることによって成立する。逆に、自分では「意識」は「混濁」しているどころかクリアだと思っていても「意識」を表出して他者に伝達することができなければ、社会的事実としての「意識混濁」は構築され、「意識混濁」者として扱われることになる。


雨宮処凛*2「病や老いが前より怖くない理由〜中途障がいをもった天畠大輔さんの『〈弱さ〉を〈強み〉に』」https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_619db7bfe4b0f398af0c4adf



天畠大輔について。


1981年生まれ。病気とも障害とも無縁の生活をしていた彼が、突如として若年性急性糖尿病になったのは14歳の頃。救急搬送されたものの、病院での処置が悪く、一時、心停止を起こす。約3週間の昏睡状態後、四肢麻痺、発話障害、視覚障害、嚥下障害が残る。しかし、読めず、書けず、話せないという状態で彼は猛勉強し、大学に進学。さらには大学院へ進み、博士号を取得。現在は日本学術振興会の特別研究員として研究をしている。

それだけではない。自ら介助者を派遣する事業所を運営し、また、相談支援をする「一般社団法人わをん」*3を設立するなど、一人で何役もの仕事、活動をこなしているのである。それを24時間介助を受けてやっているのだからすごい。しかも、一人暮らしをしながらだ。


原因不明の体調不良が続くも病名がわからない、というところから話は始まる。そうしてある日、天畠さんは意識を失う。救急搬送された病院で心停止状態になってしまい、両親は医師から脳死状態だと告げられる。

3週間が経ち昏睡状態から目覚めるが、そこから苦難の日々が始まった。ラジオの音や周囲の会話は聞こえ、理解できているのに、全く反応できないのだ。医師は両親に「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」と説明していたという。

頭では理解しているのに、声も出せず、身体も動かず、意思表示ができない。想像しただけで恐ろしいことだが、そんな中、天畠さんがもっとも辛かったのは、「痛みを伝えられない」ことだった。

危篤状態の時、体位交換ができず褥瘡ができてしまい、壊死した肉を切除する手術が2回されたのだ。全身麻酔の手術だったが、術後は血圧の低下をおそれて痛み止めがいっさい使えなかったという。

「生身を切り裂かれるような激痛が続き、心拍数が190を超えていたのです。しかし、その泣き叫びたくなる激痛を他者に伝えるすべがありませんでした」

結局、100日目で一般病棟に移ったものの、泣くか笑うかという表現しかできない状態で、やはり声を出すこともできない。周囲の会話は完全に理解しているのに、幼児扱いされてしまう日々。

が、そんな状況を打破したのは、天畠さんが何かを伝えようとしていると確信していた母だった。頭の中に「あかさたな」の50音をイメージさせ、たとえば「て」の場合、あかさたなの「た」で舌を動かし、たちつてとの「て」でまた舌を動かすように言ったのだ。

そうした手法で天畠さんが初めて母親に伝えたのは「へつた」。経管栄養が空になっているのを見た母親に、「おなかが空いているって意味なの?」と言われた瞬間、彼は顔中の筋肉を歪ませて泣いたという。心停止以降、初めて自分の言葉が伝わった瞬間であり、「あかさたな話法」が生まれた瞬間だった。