大野裕之*1「文学逍遥『西脇順三郎詩集』」『毎日新聞』2019年1月4日
詩人西脇順三郎*2の故郷、新潟県小千谷を行く。
少し抜書き。
現代詩の巨人・西脇順三郎がノーベル文学賞の候補だったと聞いても何の異論もないが、たとえば日本人初の受賞者の川端康成が翻訳不能なまでの日本語の美の極北であるのに対して、観念の羅列に突如抒情的な風景が投げ込まれる西脇に日本的な何かを感じることはない。西脇は意味によって程よく耕された言語世界の向こう側の「荒地」*3の住人というべきか。ゴツゴツした石礫がぶつかり合って火花を散らすように、意味も無意味もない言葉たちが恐るべき速度でぶつかりあって新たな価値の閃光を放つ。(後略)
その後、戦中は故郷に疎開し、日本の古典文学に沈潜した。故郷を捨てたイギリスかぶれがルーツに回帰したのか? ただ、『旅人かへらず』の〈永劫〉へと広がる世界を見る限り、むしろイギリスでも日本でもない無限の時空にさまよい出たと言うべきだろう。戦中に10年間作品を発表せず沈黙に徹したのは、詩人の抵抗だった。
岩波文庫の『西脇順三郎詩集』が指示されているけれど、私が読んだのは新潮文庫版だった。
山*4から下りて、西脇が「郷里の崖を祝福せよ」と詠んだ崖を訪ねた。大きく蛇行した信濃川が急流になって絶壁にぶつかる場所だ。西脇は近くの病院でこの風景を見ながら最期を迎えたわけだが、大きく弧を描く流れになぞらえて、「彼は晩年故郷へ回帰した」などと予定調和なストーリーは言うまい。西脇にせよ、エリオットにせよ、故郷に深く根ざし、同時にそこから逃れ、異質なものとぶつかりあうことで、新しい地平に価値を生んだ。あの過激な魂は祝福すべき崖にぶつかって永遠になったのだ。そして、彼の言葉たちは、急流のごとく私たちの感性の地層をえぐり続ける。
- 作者:西脇 順三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1965/01
- メディア: 文庫
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/07/07/055449
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140725/1406262846 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180122/1516596969 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/17/074051
*3:T・S・エリオットの長詩のタイトル。本文でエリオットが言及されることを予告している。
*4:「山」とは山本山のこと。See eg. 小千谷市産業開発センター「山本山高原」http://www.ojiyafan.com/sightseeing-5/ https://www.city.ojiya.niigata.jp/site/kanko/yamamotoyamakogen.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%B1%B1_(%E5%B0%8F%E5%8D%83%E8%B0%B7%E5%B8%82)