「説教くさいわけなどなく」

ヒコロヒー*1「話題の本」『毎日新聞』2023年1月14日


茨木のり子詩集』を巡って。


「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」という一節が有名な茨木のり子*2かと思うが、無教養な私は最初に件の詩に触れた際、「わりと説教くさいのね」と片眉を上げたものだった。しばらくして谷川俊太郎氏が選者となり『茨木のり子詩集』(岩波文庫・770円)は刊行されたので、作品群に再度触れると、第一印象はぐるんとひっくり返り、それどころかぐんぐんとのめり込み、その文字列に顔を埋めていった。
一冊にまとめられた彼女の作品をなぞっていけば、説教くさいわけなどなく、彼女は、彼女の紡ぐ文字たちは、荒々しく暴れん坊で、なのに忍耐強く、そしてかよわく、戦争によって奪われたさまざまなものに対して、いやに悲観的でも攻撃的でもなく、受け入れ、諦め、ときどき思い出した様に憤慨し、静かに舌打ちをしているようにも感じられた。彼女の言葉は細くとも頑なな一本の紐のようで腑抜けしている自分の根性を四方からぎゅっと括り付けた。

茨木のり子は怒っている、と、何度読み返しても思う。憮然として吐き出す息に、悲憤も自棄も癇癪も、憤怒に叱咤、あらゆる怒りが常に混じっている気がして目が離せなくなる。だからこそかは知らないけれど、彼女は「穏やかな瞬間」を非常に尊く描き出す。それでいて、常にどこかぶっきらぼうにおふざけをしている。唐突にカタカナで紡がれる自棄になったような言葉が私はすごく好きである。
端的に言えば死生観なのかもしれない。けれどそれを許すまじとするエネルギーが滲む。同じ時代に生きていたならば、、共にたばこでも吸いながら冷えたビールを飲みたいものだった。そこで「わたしが一番きれいだったとき」はと愚痴る彼女を「まぁまぁのり子さん」となだめてみたい人生だった。