「モンキイ」/「ヤンキイ」

中原中也詩集 (岩波文庫)

中原中也詩集 (岩波文庫)

和田健「『小さき芽』と吉田緒佐夢」『中原中也記念館館報』5、p.3、2000


タイトルとは直接関係のない書き出しの部分に曰く、


初めて手にした創元選書の詩集の「秋の一日」(『山羊の歌』)には、
(水色のプラットホームと
 躁ぐ少女と嘲笑ふモンキイは
 いやだ いやだ!)
というのがあった。あるとき、新版の中原中也全集でそこを見ると、「モンキイ」が、「ヤンキイ」になっていた。私は違和感を発した。誤植だったのかもしれぬが、前の、モンキイ、の方がよいと感じた。もっとも、これは私の心理の方に問題がある。私は敗戦時の少年だった。やがて出現した、「躁ぐ少女と嘲笑ふヤンキイ」の光景が、鋭く胸に刺さった。不愉快であった。だから、中原に、ヤンキイ、などと言って欲しくなかった。それに、ヤンキイというような言葉とか言い方、中原には似合わぬと思うが、どうであろうか。
まあ、戦争も「敗戦」も知らない世代の人なら、💩座りしながら「嘲笑ふヤンキイ」のイメージが浮かんでくるのでは? ところで、「躁ぐ」はハシャグでいいのか?

そんなことをいえば、『山羊の歌』には、「羊の歌」という詩篇があるが、その山羊と、羊との関係は、どうなっているのだろう。何かの本の解説に、古代ギリシアでは、山羊の歌とは、悲劇の意味であるとあったが、中原の「山羊の歌」は、そんな意味のものではあるまい?
タイトルにある『小さき芽』は吉田緒佐夢が関わっていた同人誌。中原中也*1は参加していない。しかし、中也は吉田の歌集『末黒野』に中也は短歌を寄せている。