室井康成氏*1、柳田の『明治大正史世相篇』*2を援用して曰く、
西洋中世は麦酒やワインなどの弱いアルコールに浸かっていた社会だったといえる。近代化とともに〈飲酒〉への道徳的・宗教的な問題化が強化される一方で、酩酊に効率性のロジックが導入され、やがてジンなどの効率よく酔っ払える下層向けの蒸留酒(スピリッツ)が普及していった(シヴェルブシュ『楽園・味覚・理性』)。日本でも、「労働者の酒/焼酎は/安くて強い」と歌われたけれど、東京を中心とした東日本で「労働者の酒」としての焼酎が飲まれるようになったのは何時頃からなのだろうか。
室井康成(Muroi Kosei)@KoseiMuroi
柳田国男は、近代日本人のストレスの大部分は、都市への急激な人口集中に起因すると考えていた。そのため孤独に陥った都市民の酒量が上がり、「独酌」という新文化が生まれたが、これも大量生産と流通網の整備、酒の保存と運搬に便利なガラス瓶の開発が後押しした、とする。(『明治大正史世相篇』)
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9:47 PM · Nov 30, 2019·Twitter for Android
https://twitter.com/KoseiMuroi/status/1200773289510989829
- 作者:ヴォルフガング シヴェルブシュ
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 1988/02/01
- メディア: 単行本
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/08/15/110306 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/11/17/145326 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/11/18/092004
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130725/1374722806 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/08/20/092445