「大正デモクラシー」と「民俗学」

最近柳田國男に言及したばかりなのだが*1

室井康成『事大主義』から抜書き;


彼[柳田国男]の民俗学構想は、大正デモクラシーの揺籃の中で練り上げられた。議会制民主主義をまっとうに機能させるため、普通選挙は実現すべきだが、その前提として、国民の事大主義が克服されなければならない。
柳田は、こうした強い問題意識の中で、人々の思考・行動を拘束する民俗を、調査・分析・相対化するための学問の必要性を説いたのである。しかも彼の心底には、西洋文明の導入物であった既存のアカデミズムに対し、対抗軸として「東国の学風」を打ち立てたいとする意図があり[鹿野 一九八三]*2。その姿勢自体が反事大主義的であった。
民俗学者大塚英志*3は、このころの柳田の意図を「「個」を確立させ、それぞれが自分の「心意」をことばとして表出する技術を持ち、それぞれの差異を踏まえて公共性を立ち上げようとする」ことにあったと指摘する[大塚 二〇〇七]*4。要するに、事大主義に流されない自律性の涵養こそが、柳田が構想した政治教育としての民俗学であったのだ。(pp.81-82)
なお、柄谷行人『遊動論』によれば、柳田がこの時期にジュネーヴ国際連盟に出向した経験が重要だということになる(第三章「実験の史学」3「公民の民俗学」、p.100ff.)。