朝鮮の場合

ハンナ・アーレント (ちくま新書)

ハンナ・アーレント (ちくま新書)

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

先日、森分大輔氏の『ハンナ・アーレント』から『全体主義の起源』第2部「帝国主義」に依拠した記述を引用した*1


(前略)アーレントによれば最初の帝国主義的行政官だったロード・クローマーは、「条約にも法律にも拘束されない」個人が秘密裡に「高次の目的」への奉仕にかなう決定を下す「官僚制」を植民地支配に導入した。「高次の目的」を達成すべき植民地の問題に本国が巻き込まれないように、また植民地は本国から影響を受けないよう秘密裡に支配されるべきと考えた。
そうした支配は、同じ意識を享有した官僚たちが担った。彼らは、クローマーら帝国主義的行政官の個人的決断に応じて速やかに、そしていかなる変更にも対応可能な組織で対応した。「高次の目的」と秘密主義で結ばれた「無名性への情熱を持つ男たち」は、本国の民主的決定や法律のような鈍重な手続きから解放されていた。(pp.87-88)
さて、これに関連して、弁護士ほり「百田尚樹『今こそ、韓国に謝ろう』のデマを暴く!」*2から少し長い引用;

『今こそ、韓国に謝ろう』では触れていないのですが、併合後に韓国を支配した日本の歴代総督は、内閣ではなく天皇に直属する官職であり、行政・立法・司法・軍事にわたる強大な権限を備えた、いわば朝鮮の独裁者というべき存在でした。

 すなわち、強大な行政権を持っていただけでなく、法律に代わる命令を発し、さらに司法部や朝鮮軍も総督の下にあったのです。

 そして朝鮮人には帝国議会の選挙権が与えられなかった(但し日本内地に居住する朝鮮人は別)だけでなく、地方議会すら朝鮮には存在しませんでした。(後に府・面などの地域単位で協議会が設置され、一定範囲で選挙も行われましたが、これらの協議会は諮問機関であり、議決権はありませんでした。)

 こういう事情を知らないと、「日本から朝鮮に派遣された総督とは、県知事の海外派遣版みたいなものか」などというとんでもない誤解をしてしまうことになります。
 実際には県知事どころか、内閣総理大臣と同格程度の職でした。それどころか、朝鮮半島に限った範囲では自分で行政・司法・立法・軍事を動かせるのですから、朝鮮総督には、内閣総理大臣よりもはるかに広い権限を与えられていたのです。(日本の内閣総理大臣は、一応は帝国議会によるコントロールがありましたが、前述のとおり、その帝国議会にあたるものが朝鮮半島にはなかったのです。)

 ちなみに朝鮮総督府に勤務した職員は、基本的に日本人(内地人)が多数を占めていました。1937年時点の数値では、総数約6.5万人のうち4.1万人が内地人で、朝鮮人は2.4万人ということになります。

ところで、このエントリーには参考文献として、金達寿『朝鮮』*3山辺健太郎『日本統治下の朝鮮』(何れも岩波新書)が挙がっている。この2冊は「朝鮮」に関して初めて読んだ本。たしか高校2年の夏休みだったと思うが、何故「朝鮮」についての歴史書を読んでみようと思ったのか、(今となっては)わからない。山辺本は史料の引用が豊富で読むのに難渋した。金達寿本はすらすら読めたが、私の「朝鮮」理解に或る種のバイアスを与えたことも事実だ。
日本統治下の朝鮮 (岩波新書)

日本統治下の朝鮮 (岩波新書)