「下宿」の話

荒川洋治*1「対照的な人物像を冷徹に描く」『毎日新聞』2021年11月20日


小学館から2021年に廉価本で再刊された阿部知二『冬の宿』の書評。
昭和の初めに、大学生の「私」が東京郊外にある「霧島嘉門」という家主の営む下宿で、秋から春まで、つまり「冬」の間過ごすという話。


霧島家は、夫婦と小学生の子二人。嘉門は海坊主みたいな巨漢で粗暴だが、子供みたいにわんわん泣くときもある。旧家の出だが、放蕩を重ね、零落。親の勧めで結婚させられ、狂信的なキリスト教信者になった妻まつ子は「冷たい陶器の肌のような女」。嘉門はこっそり「私」の部屋に来て、禁じられた煙草を吸って息ぬき。
夫婦はけんかが絶えない。そのうち、まつ子の讃美歌が聞こえてくる、というのが基本構図。まつ子は、暴力に耐え、夫を善導しようとつとめ、病弱の身で編み物の内職に励む。対照的な、お二人。どういう家なのだ、これは、と思うけれど、本能のまま生きる嘉門の姿も見応えがある。
嘉門は、内閣調査局勤務だというが、実はそこの守衛。まつ子は隠す。「この心の離れあった夫婦の間に、まだこうした暗黙の共同防衛の心情があることをみて、夫婦というものの奇妙な深さを覗くような心がした」。嘉門に、また女ができた。その女性の父親のことを「じつに極悪非道の父親です」と嘉門。では嘉門自身はどうなのか。「奇妙な頭の働き方に驚くばかりだった」。一瞬「私」の冷徹な視線がゆるむときもある。嘉門を競馬場で発見。幼いとき、父とはぐれた「私」の心細さ、父を見つけたときのうれしさを思い出す。
左翼くずれの朝鮮の青年医師、高が隣りの部屋に入った。「僕は内地にきてから、よく眠った夜なんかない」。彼は朝鮮の人のために施療病院で奉仕。やがて姿を消す。当時の朝鮮の人の心がどんな状態にあったのか。それを伝える名作は「冬の宿」以前にはない。金史良『光の中に』(一九四〇)の四年前に「冬の宿」は書かれた。この小説の厚み、領域の広さを感じる。嘉門は失職、一家は破滅。夫婦は、わずかな家財を荷車に乗せて引っ越す。見送る「私」。坂を下る二人。昭和期屈指の名場面だ。
さて、

大正後期から昭和初期、労働者の文学が登場。働く人たちも作品を待ち、熱心に読む。作家たちは知識層以外の人にも通じる新しい文章をめざす。人物像系を鮮明にし、具体的に書く。まつ子の「蒼光りする着物」、嘉門の「ウオーッ」という叫び声のように。それは文学をより確かなものにするために大切なことだった。「冬の宿」はその面でも革新的だった。
因みに、私にとって、阿部知二というのはエミリー・ブロンテの『嵐が丘』を訳した英文学者*2、或いは『良心的兵役拒否の思想』の著者であって、小説家としての阿部知二というのは知らなかったのだった。