大島渚と「歌」(メモ)

承前*1

北小路隆志*2大島渚追悼――「罵り合い」の「論理」と「ポエジー」」『intoxicate』102、2013、pp.56-61


曰く、


(前略)彼の映画にあって、人が集まれば酒を飲み、議論を戦わせ、そして歌を歌い始める。それぞれの歌がある種のイデオロギーを体現することも多いが、ある意味で問題は、歌の内容である以上に、それが一人かそれに近いかたちで歌われるか、それとも合唱されるかの違いにある。『日本の夜と霧』に登場する「歌ごえ運動」や『日本春歌考』における若者らのフォークソングなどは集団によって和気藹々と合唱されるが、大島にとってそれは不愉快な行動以外の何ものでもないように映る。歌とは対立軸を生み出すための罵りであって、それが和解や「真実」へと収斂されるときにこそ、権力やファシズムが生起するのだ。だからまさに歌合戦の映画ともいうべき『日本春歌考』における、春歌(猥歌、エロ歌)と軍歌の闘いは、いかなる意味でも、つまり平和(民主主義)的にも弁証法マルクス主義)的にも解決を見ず、大島は一貫して合唱(対立の和解)を批判する。同作での春歌が、もっぱら伊丹十三演じる高校教師によって独唱され、彼を死へと導く教え子の高校生(荒木一郎)によって継承される一方、軍歌は、飲み屋に集う男性らによって合唱され、さらにその延長線上に教師の通夜の席でかつての同級生らによって歌われる全学連の「国際学連の歌」――その場に居合わせた荒木を頑なに俯かせしめるもの――やその60年代後半版であるフォークソングの合唱が加わるだろう。吉田日出子演じる女子高校生がボソボソと孤独に歌う朝鮮人従軍慰安婦の記憶を秘めた歌が、大島的な歌の最たるもので、それは決して和解(合唱)を認めず、できるのは、ただ歌い継ぐことのみだ。『太陽の墓場』(1960年)で佐々木功によって歌われる「流浪の歌」に始まる大島作品における歌の主題は(略)それは音楽というよりは言語の問題に属するものと位置づけなければならない。安易なコミュニケーションを許さない歌と言語……。(略)彼はしばしば「音楽嫌い」をも公言しているのだ。(p.60)
ちょうど『日本の夜と霧』と『日本春歌考』は観たことがなかったのだ。
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あまりにも観念的なものと映ることから、かつて僕は何本かの大島作品を敬遠した。だが、彼の映画がもたらす観念性は、登場人物らが叫び訴える言葉や歌の意味をそのまま受け取る僕らの誤った態度にほぼ由来するのではないか。そうではなく、言葉に意味がなく、対話の前提となる「真実」」もない……それが大島の立場であるとすれば、彼の映画の観念性は反観念性であり、彼の映画で流れるイデオロギー的な言説はイデオロギーへの批判のために繰り広げられるのだろう。戦後民主主義的な言説を批判するためには、まずそれを反吐が出るほど聞かねばならない。あるいは、『東京戦争戦後秘話』における当時の先端的な(?)映画+政治狂いの高校生らのおしゃべりの羅列もまた、むろん、一定の共感を含めてのこととはいえ、結局のところ、彼らの愚かさを際立たせるばかりであり、その”愚かさ”への大島の屈折した共感だけがうかがい知れるのだ。言葉を批判するための言葉。歌を批判するための歌。であるとすれば、大島渚の映画は「(戦後)日本映画」を批判するためのは「(戦後)日本映画」ではなかったか。(ibid.)