- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/04/13
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村上春樹の『スプートニクの恋人』*1を先日読了したのだが、(とろいぞと思う方もいらっしゃると思うが)読み終わった後で、この小説の主人公は語り手でもある「ぼく」だったということに気づいた。最初のパラグラフの、
という叙述に目くらまされたのかどうかは知らないけど、ずっとこの小説は「すみれ」と「ミュウ」の物語なのだと思っていたのだった。
22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きづぶした。そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠を砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。みごとに記念碑的な恋だった。恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。さらにつけ加えるなら、女性だった。(後略)(p.7)
それから、タイトルにある「スプートニク」。これはそもそも「ミュウ」が「ビートニク」と「スプートニク」を取り違えてしまったことに由来するのだが(pp.13-14)、これが物語全体の意味に対して深い関連性を有しているということも、読了してからやっと了解した。「ミュウ」の言葉;
さて、若い頃の「ミュウ」が自らの分身と遭遇するエピソードがある*2。5月に川上弘美の『真鶴』*3を読んだのだが、こえも自己とその〈分身〉との関係を扱った小説。「ミュウ」は分身と遭遇した結果、自らの人生が決定的に破壊されてしまう。『真鶴』の場合、語り手=主人公は分身を受け入れ、(或る意味で)分身と馴れ合う。それによって、(「ミュウ」の場合とは逆に)自らの人生の亀裂を癒し、日常に復帰するのだった。「ミュウ」に話を戻すと、この遭遇は瑞西の地方都市で観覧車に乗っていたときに起こる。観覧車というのは選れて辺見庸的なオブジェであるということも指摘しておくべきだろう*4。
(前略)
会った最初にスプートニクの話をしたことをよく覚えているわ。彼女がビートニクの作家の話をしていて、それをわたしはスプートニクといい間違えたの。わたしたちは笑って、それで対面の緊張がとけた。ねえ、あなたはスプートニクというのがロシア語で何を意味するか知っている? それは英語でtraveling companionという意味なのよ。『旅の連れ』。わたしはこのあいだたまたま辞書を引いていて、そのことを初めて知ったの。考えてみたら不思議な符合ね。でもどうしてロシア人は、人工衛星にそんな奇妙な名前をつけたのかしら。ひとりぼっちでぐるぐる地球のまわりをまわっている、気の毒な金属のかたまりに過ぎないのにね」
ミュウはそこで言葉を切り、ほんの少しだけなにかを考えていた。(pp.150-151)
- 作者: 川上弘美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/10/09
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*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160719/1468946923 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160722/1469159771
*2:「ミュウ」が「すみれ」に語り、「すみれ」がそれを文章にして、「ぼく」がそれを盗み読みするという設定になっている。
*3:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160523/1463970478