『真鶴』から

真鶴 (文春文庫)

真鶴 (文春文庫)

飛騨市図書館の「官能小説朗読ライブ」では川上弘美の短篇が採り上げられたが*1、長篇ではあるけど、『真鶴』*2から〈濡れ場〉を2つ抜き出してみる。充分に〈官能的〉だろうか。
(回想される)「わたし」と夫(「礼」)との営み。


(前略)
日曜日だった。朝起きると、なにごともなかったように、礼が横に眠っていた。
「おはよう」さわやかに、礼は言った。
*3はまだ寝息をたてていた。三人一緒の部屋に床をとっていた。左に百、右の礼の、川の字の、まんなかと左の棒がいれちがったかたちで、床はならんでいた。
しっ、と指をくちびるにあて、礼の胸に顔をよせた。いったんは起きあがろうとしていた礼は、また横たわった。ため息で、しらせた。だいて。
礼はためらった。
ためらわないで。礼の目の中をじっとみつめた。虹彩に、わたしの顔のぶぶんがうつっている。礼のパジャマのズボンにゆびをかけた。
そのままてのひらをいれ、たしかめた。
百が声をたてた。寝息と声のまじった音。礼はうごかず、わたしのてのひらを受けていた。うつぶせの姿勢で、礼のうえにのった。かけぶとんとしきぶとんのように、たいらに重なった。そのまま上体をもたげ、てのひらを置いたところのまうえまで、動いた。
あ、はいった。
ささやくと、礼はほんのわずか、眉をよせた。
つらそうな顔。
思いながら、うごいた。なめらかだった。礼は耐えるように目をとじていた。けれど、耐えていたのではない、うごきは、すぐにそろった。二人で、共犯のように、うごいた。百に知られぬよう、ひそやかに、深く、はてた。
百が起きかけていた。
礼のにおいがした。すぼめるようにして、風呂場までゆき、シャワーをあびた。水といっしょに、ながれてきた。ながれでないように、またすぼめた。からだの奥まで、きてほしかった。暗い奥底まできて、ヒトのかたちのもとになればいいと思った。そして、激しい悪阻をもたらしてくれればいいと思った。
おかあたーん、と言いながら、百が風呂場の扉をあけた。バナナ、もってこうねー。きょうは、よくはれてるよー。
まだあかんぼうに近い、抱きすくめて顔をうずめたくなるような、可憐で乳くさい声だった。(pp.158-159)
恋人の「青茲」との相瀬。

夜はまださほど更けていない。
灯ったいくつもの光にあかるんだ半端な闇の中に、青茲が待っていた。
せいじ、と声をたて、倒れこむように腕の中にはいってゆく。
「どうしたの」驚かれる。
あいたかった。
「素直に言うんだね、今夜は」
いつも、すなお、わたし。
そうだったかな。言いながら青茲はわたしのあごを指さきでなぜる。今夜はからだが青茲をほしがっている。青茲の、肌も、匂いも、気持ちも、ぜんぶをわたしのからだがほしがっている。
食事のまえに、すぐに、行きましょう。言いながら、青茲のてのひらを、わたしのてのひらぜんたいで握る。汗をかいている。外気はつめたいのに、柿の実にはもうずいぶんと色がのった。もいでいい。百が母に聞いていた。まだよ。それにあの柿、ときどきものすごく渋いのよね。ほら、ずいぶん前にも、ゆきのちゃんが齧ってみて、すぐにはきだしたじゃない。母が答えた。
もつれるようにホテルに入り、部屋をとった。エレベーターの中でわたしのほうから青茲の唇をすった。
「どうしたの」青茲は言い、すこし離れた。ごとん、と音をたて、エレベーターが止まった。扉がすべり、廊下のつきあたりのドアの上に灯がともっているのが見えた。
あの部屋よ、はやく。青茲の背を押すようにして歩いた。どうしたの。もう一度青茲が聞く。したいの。あなたと、したいの。早口に答える。
おやおや。青茲はつぶやき、上着をとる。きちんとハンガーにかけてから、ずれた肩の部分をなおす。大きなベッドに、わたしは腰をおろす。勢いがついているので、はずむ。
したい、したい、と声をだす。だすたびに、したい気分が少しおさまるので、何回でも言ってみる。それでも、おさまるのは表面の欲だけだ。おさえつけた、奥底にあるしぶとい欲が鎮まることは、ない。
逃げないで。青茲にたのむ。
逃げたことは、ぼくは、ないよ。しずかに青茲は答える。
混乱する。逃げたのは、青茲じゃなかったのだっけ。逃げたのは、誰だったのか。青茲の胸に顔をうずめる。髪をなでてくれる。今日はやさしいのね。そうだね。あなたがやさしくしてもらいたがっているから。
でも、やさしく、しないで。するときは、やさしく、しないで。また早口で言う。青茲のくちびるが私の唇をふさぐ。大きな舌がはいってくる。ぬれた、いい匂いの舌だ。
つよく、すう。(pp.170-172)