ニュー・カマーの話

石牟礼道子の「会社運動会」というエッセイ*1は、水俣にとっての2つの余所者、つまりオールド・カマーである天草の「狐」たちとニュー・カマーである「チッソ」を対比した文章なのだった。


塩浜では、年に1回、チッソ会社の運動会が行われた。その日は、八幡さまのお祭りの賑わいを上回る人出で、町中が華やいだ。運動会はわたしの幼いころに始まったと思うのだが、たちまち水俣の最も華やかな年中行事となっていった。
その日が近づくと、町中のあちこちから、鐘や銅鑼を打つ音が聞こえる。音の聞こえる方へ誘われてゆくと、青年クラブの若者たちが集まって、仮装行列の踊りを稽古しているのだった。赤ん坊をおんぶしたおかみさんやお爺たちも見物に集まって、銅鑼や鐘に合わせて足踏みをしていた。
教義に参加するのは会社の従業員である。街の人々は弁当を持って見物に出かけるのだが、目の前で走ったり跳んだりしている従業員のなかから、自分の村落の人たちを見分けて応援することになる。十人弁当と呼ばれる漆器のお重に御馳走を詰めこんで、互いにおよばれをしあいながら応援する。
仮装行列に参加できるのは男だけで、それぞれの町内から行列が出発する。男たちは女装して鼻筋にお白粉を塗り、頬紅や口紅をさし、頭には鉢巻き、浴衣に花襷を結んで、大きく背中に垂らし、行列を組んで、何の歌だか憶えていないが、大声で唄いながら、足取りよくゆっくりと、シナを作りながら栄町の表通りを踊り進んだ。花襷と鉢巻きは町内ごとに色が違う。そんな姿で山奥の村からもやってきたのだそうだ。
仮装行列が塩浜に着くのは昼食時で、男たちは、見物に来ている家族たち、顔見知りが持参した弁当を御馳走にあずかる。もちろん焼酎はつきものである。運動会の終わり際には、どの組の行列がよかったか、賞品も出ていたように記憶する。(pp.20-21)

チッソ会社の上級社員はよそからやって来た人たちで、陣内という町にある社宅に住んでいた。日ごろは元からの住民とは往き来もなかったが、その日ばかりは会場で互いに話もやりとりされ、そのアクセントの違う声の行き交いに、幼いわたしは聞き耳を立てていたものだ。「いつもは話をせんばってん、話してみれば普通の人間と変わらんなあ」などと語りあう小母さんたちの声が記憶に残っている。
もともとの地元の人びとの側には、チッソという会社を、新しい「文明」として仰ぎ見るような気分があった。むろんそれはおのれたちとは異なる、親しみにくいものでもあった。会社運動会は、「都市文明」の貌をしてやって来たが、芸達者たちがいた村落共同体に受け入れられて、それなりの表現をしていたものと思われ、後年のわたしたちにも親しみを覚えさせる働きをしたのかもしれない。それはまた会社のねらいでもあったろう。
だが、仮装行列を繰り出して、新参者の会社に親しみを表した住民に対して、チッソ会社は後年水俣病患者の発生に際して、どういう貌を見せたことか。(pp.22-23)

*1:『魂の秘境から』、pp.19-24.Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/10/12/101141