マスク依存症

「インフルエンザ流行で屋内外問わずマスク姿だらけ 「だてマスク」の危険性を指摘も 」https://news.nifty.com/article/item/neta/12180-494493/


菊本裕三『[だてマスク]依存症』という本が出ているのね。
曰く、


「それまで家庭用マスクはガーゼでしたが、2003年頃から不織布が使われ、性能も使い勝手も飛躍的にアップ。新型インフルエンザが大流行した2009年にはドラッグストアの店頭からマスクが消えるほど、爆発的に普及しました。それ以降、感染予防という本来の目的ではなく、『だてマスク』として使われるケースも多くなりました。中高生の若者だけでなく、社会人や年配者にも増えているんです」*1

 マスクユーザーの約半数が感染予防以外の目的で使っているという調査(2015年12月)もある。冒頭のような「スッピン隠し」は最も多い例だが、最近では「口元を隠せば目ヂカラが強調できる」「小顔効果がある」などの“美的効果”を狙う「だてマスク」もある。

たしかに、「ガーゼ」から「不織布」への変化というのは大きい。これによって、気軽に使い捨てられるという感じが強まった。1979年の小学生がタイム・マシンか何かで21世紀に突如迷い込んだりすれば、「口裂け女」ばっかり! と吃驚するんじゃないか*2。また、「マスク」というのはかつて典型的な〈左翼ファッション〉で、〈公安ファッション〉としてのイヤフォンと対をなしていたのだった。
片田珠美という人にはあまりいい印象を持っていないのだが*3、この記事に引用されている彼女のコメントはすごく興味深かった;

精神科医の片田珠美さんはこう警鐘を鳴らす。

「相手との意思伝達は大きく2つに分けられます。バーバル(言語)コミュニケーションと、ノンバーバル(非言語)コミュニケーションです。『表情』というのは非常に重要なノンバーバルの手段ですが、マスクをするということは、“自分の表情を隠す”ということにほかなりません。つまり“能面”をつけて、コミュニケーションを半分拒否するわけです。それを続けているうちに、しだいにコミュニケーション能力が低下します」

 欧米を中心とした外国人が会話するとき、日本人よりも表情が豊かだと感じることが多いが、それは彼らが「非言語」のコミュニケーションを重要視しているから。彼らがマスクを嫌がるのには、その辺りにも理由がありそうだ。

「コミュニケーション能力が衰えれば、対人関係に自信を失います。すると、さらに他人の視線を怖く感じるようになり、精神的な安定を求めて、マスク依存が深まります。そうした負のスパイラルの行き着く先は、マスクをしないと外に出られない、人に会えないという状態で、引きこもりやうつを引き起こす可能性もあるんです。

 実感として、インフルエンザや風邪で内科に通う患者よりも、うつ病で精神科に通う患者のほうがマスクをしている率が高いように思います。それは、うつ病患者はしばしば自信を失っていて、自分の喜怒哀楽を知られることを嫌がり、他人の目線を怖いと感じるからなんです」(片田さん)

まあ、「能面」=無表情というのは無教養な紋切型にすぎないわけだけど、それはさて措いて、「マスク」によって「表情」が使えなくなる、「表情」が使えないと「コミュニケーション能力が低下」する、「コミュニケーション能力が低下」すればさらに自分に引き籠ってしまうという「負のスパイラル」の指摘には肯いてしまう。ただ、最近の「マスク」を俟つまでもなく、感情の抑制を強調する文化のために日本人は昔から「表情」をつくる顔の筋肉が固くなっていたという指摘もある*4
また、


「“マスク症候群・マスク依存症”とは何か?:常にマスクをしないと落ち着かない心理とマスクの持つ効果」http://charm.at.webry.info/201601/article_9.html


このエントリーでは、「マスク」による〈社会〉からの自我防衛機能が言及されている。


マスクをすることによって、外部社会で他人と直接的に向き合っている、自分がどのような人間か値踏みされているという『感覚的・想像的な負荷や不快』を和らげやすくなる。外部社会の刺激や他人の反応にストレスを感じやすい過敏な人でも、『マスクで外部と遮断されている自分という感覚』によってストレスに対処しやすくなるのである。

いつもマスクをして少しうつむき加減で過ごしていれば(この人はあまり人と関わりたくないのだろうなと相手が判断してくれることで)、他人とあまりコミュニケーションをしたくない人であれば『相手から話しかけられる確率・必要以上の雑談に付き合わせられる頻度』を有意に減らすこともできる。


マスクをすることによって、自分を『特定の個人』として認識されにくくする(どこの誰だかわかりにくくする・他人から話しかけられにくくする)というのは、マスクをする人にとって『匿名的な自由の感覚・対人的な防御壁』のメリットになることがあるのと同時に、マスクをした人と接する相手に対して『不信感・不快感・接しにくさ』の印象を与えるデメリットにもなるということである。

マスクをすると『顔・口元・表情』が見えにくくなり、ちょっとした顔見知りくらいだとどこの誰だか分からなくなるが、フルフェイスのヘルメットをかぶるほどの極端な『顔全体の隠蔽』ではなく目は見えているので、そのままで社会生活を営んでもそれほどの違和感や不利益はないという使い勝手の良さがある。

しかし、バイクに乗るわけでもないのにフルフェイスのヘルメットをかぶった人ほどの違和感はなくても、いつも絶えずマスクで顔の下半分を隠しているという状態は不自然といえば不自然なので、顔や表情がよく見えないことによるネガティブな印象(自分だけの世界に閉じこもっていて外部と少し距離を置いているような印象)が生じてしまう可能性もあるということである。

自分だけの世界に閉じこもっていて、他人に関心・配慮がない印象ということでいえば、スマホ(携帯音楽プレイヤー)で音楽を聴くという行為にも似た部分がある。

常にマスクをしていると『儀礼的な無関心(他人がそこにいることを認識した上での配慮ある無関心)』を示さない『私的領域の拡張(外部社会にいるのに自宅でいるような感覚・他人がまるでそこにいないかのような感覚の拡張)』の印象を持たれやすくなるのかもしれない。

電車の中で内輪で大声を出してバカ騒ぎするとか、目の前に人がいるのに携帯電話で大声で通話するとかいうことが他人に抵抗感・不快感を与えやすい原因も、『私的領域の拡張(外部社会にいるのに自宅でいるような感覚・他人がまるでそこにいないかのような感覚の拡張)』と関係している。マスク症候群は大声を出したりはしておらず受動的な外観ではあるが、『他者に対する拒絶・無視の印象(自分の内側だけを守っているような私的領域の拡張・非社交性のイメージ)』をそれとなく与えてしまいやすい所はある。


なぜ『マスク症候群(伊達マスク症候群)』のような行動パターンが現代社会で生じやすくなったのかというのは、何らかの精神疾患と関係した病的なマスク依存を除けば、マスク症候群が基本的に人ごみの多い都市文化の中で起こりやすいことからも分かるように、『人口密集と満員電車・高度なコミュニケーション能力の要請・対人評価(他者に与える印象)の重要性の上昇』などの要因と関係しているのだろう。

あまりに膨大な数の人の波に飲み込まれながら押し合いへし合い通勤して、仕事で大勢の顧客を丁寧に笑顔で接遇しなければならない感情労働的な業務が増えて、他人から自分の言動・外見に対して良い印象や評価を持ってもらう必要もあるとなると、『外的社会の中で適応的に働いて過ごすこと・他者と適切にコミュニケーションすること』の多くがストレスに感じられやすい。

その外部環境のストレッサーとなる他者からの目線・干渉可能性を、心理的にわずかであっても遮りたい(擬似的な私的空間を確保したい・他人からこちらが望まない不快な干渉を一切されたくない・自分に用事がないのに人から話しかけられたくない)という動機づけが強まり、マスクをしていたほうが何となく過ごしやすいと感じる人が増えているのかもしれない。

さて、「口裂け女」がいた1970年代から80年代にかけても同じようなことが言われていた。但し、話題の中心としてのモノは「マスク」ではなくサングラス。井上陽水とか舘ひろしとか、室内であっても或いは公の場であっても、サングラスを取らないのは如何なものか、と。「マスク」では口元を隠して目を曝す。サングラスでは目を隠して口元を曝す。この差異や如何に?


土堤内昭雄*5「"マスク"依存社会−あらたな現代の「国民病」を考える」http://www.huffingtonpost.jp/nissei-kisokenkyujyo/mask-national-affliction_b_14900464.html


曰く、


 人によっては外見がひどく気になって対人恐怖症になり、自分の表情を読み取られたくないといった心理的効果からマスクを手放せない人もいるそうだ。

しかし、マスクを常用するようになると、マスクをはずすことに対する不安が募り、人との直接的な会話が巧くできず、一種の引きこもり状態に陥りかねない。

電子メールやSNSが広がった今日、匿名や直接顔をあわせないコミュニケーションを好む人も多い。他者とのコミュニケーションが苦手になり、"face to face"の人間関係が希薄になっている現れかもしれない。

最近では親しい間柄の意思伝達の場合も、必要以上にメールやSNSを使うケースが増えている。会社の隣席の人にいつもメールで連絡を取ったり、同居する家族同士でもメールでやり取りしたり、恋人への告白もメールで行う人もいるという。

コミュニケーション方法のデジタル化が、人と素顔で向き合うことを難しくし、対面コミュニケーション不全を助長している面もあるだろう。

マスクで顔を隠すことで対人不安を和らげたり、心身の自信のなさやコンプレックスをカバーするなど、マスクは現代生活の自己防衛手段のひとつかもしれない。

井上陽水サングラス問題もあったように、「コミュニケーション方法のデジタル化」とはあまり関係ないのではないかと思う。また、ネットでのコミュニケーションは「直接顔をあわせないコミュニケーション」ではあっても、「表情」のないコミュニケーションではない。早い時期から、「表情」を表現するための絵文字とかがつくられてきたわけだ。また、最近ではスタンプとか。
土堤内氏のテクストに311が言及されているのだが、Wikipediaの「だてマスク」の項によれば、「だてマスク」云々という言説が登場するのは311以前の2010年である;

博報堂若者研究所の原田曜平が『近頃の若者はなぜダメなのか』(2010年1月16日発売)で「だてマスク」について取り上げた。その後、朝日新聞が2011年1月に日本の10代(男女問わず)の世代にそうした傾向が見られることを報じて、同紙の取材で年代を問わず大人の中にも「だてマスク」着用者が存在することが明らかになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%81%A6%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF