Between M and P

承前*1

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20110325/1301023052


「デマ」の受容、或いは社会的権威やメディアに対する信任/不信任ということが問題になっているのだろうけど、結局何を主張したいのかはわからない。とにかく、http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20110324/1300982184の議論を「勇み足」として否定したいということだけなのか。それならそれでかまわないのだが。
マス・コミュニケーションの効果、つまりメディアが発信した情報が如何にして受容されるのかということは、少なくともカッツとラザースフェルドが「コミュニケーションの二段の流れ」という理論を提出して以来、受け手のパーソナルな社会関係、パーソナル・コミュニケーションと関係づけなければ理解できないことになっている*2。一般的に言って、マス・メディアから取り込んだ情報(知識)のplausibilityは、身近な社会関係の中でポジティヴなフィードバックを受ければ上がるだろうし、ネガティヴなフィードバックを受ければ下がるだろう。また、特定のコミュニティ(準拠集団)に属する人は、そのコミュニティに対するネガティヴな情報に刺戟されてますますその信念を強化することも考えられうる。〈トンデモ〉を信じる人、或いは〈トンデモ〉のコミュニティは〈トンデモ〉批判が強まれば強まるほど、頑なに〈トンデモ〉を信じるようになるかも知れない。この場合、外部からの批判を受容して〈トンデモ〉をやめる人も出てくるだろう。しかし、これも不信心な脱落分子として処理されることによって、コミュニティの団結や信念の維持・強化に寄与してしまう可能性がある。というか、中途半端で軟弱な〈トンデモ〉分子が脱落し、コアな信者だけが残り、コミュニティが純化されるといえるか。等々。
問題は、インターネットの場合、勿論マス・コミュニケーション的な要素が強い部分とパーソナル・コミュニケーション的な要素が強い部分があるのだが、この2つの境界を曖昧化してしまう傾向があること。それから、身近な(シュッツのいう意味での)Umwelt*3を考慮せずにメディアの発信する情報を取り込む可能性は(文字の発明に始まる)コミュニケーション・メディアの発達に内在したものである。勿論、インターネットによるコミュニケーションもその発達史の延長線上にある。
たしかに、http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20110324/1300982184は酷い。しかし、書いた本人は全く自覚していないのだろうけど、或る重要な問題を仄めかしていることだけはたしかだ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110420/1303277092

*2:そうした議論の概略として、野村一夫「マス・コミュニケーション論」(http://www.socius.jp/lec/11.html)を取り敢えず参照されたい。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070508/1178602180 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070605/1181020013 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090513/1242181842 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090727/1248714718 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091116/1258370011 取り敢えず、Aufbauをマークしておく。

社会的世界の意味構成―理解社会学入門

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