斜め上の必要

熊代亨*1「どうやって子どもに「文化資本」をプリインストールしていけばよいだろう?」https://blog.tinect.jp/?p=53958


熊代氏は「文化資本*2を、


文化資本とは、語彙力や言葉遣い、学力や教養や美的センスといった、個人的リソースのことを指す。

文化資本は直接的にはお金にならないかもしれないが、地位や人間関係へのアクセスを左右し、巡り巡って経済資本をも左右するという点において、やはり資本である。

と定義している。「文化資本」の定義については、色々な議論が必要だろうけど、ここでは触れない。というか、ここで興味を持ったのは「文化資本」のことではないのだ。熊代氏は「文化資本」を子どもに「プレインストール」する主体としての大人の役割について論じている。「父親」と「兄貴/姉貴」。

父親がどれほど文化資本を持っていても、子どもがそれを本棚から抜き出して勝手にインストールしてくれるとは期待できない。

原則、親の文化資本は、子どもと一緒に過ごさなければ伝わりにくいものと想定しておくべきだろう。

私自身の文化資本は、しょせん、私が年を取れば失われてしまうものでしかない。

それでもベーシックな部分に関しては、遊びをとおして子どもに継承されて、やがて、子ども自身が自前の文化資本を形作る材料にはなるはずだ。

いまどきは、父親が子どもと一緒に過ごすのはなかなかに難しい。以前、こちらでも書いたように、父親が子どもと過せる時間はまだまだ希少で、贅沢品のままである。


父親が子どもと一緒に過ごせない現代日本のありようは、文化資本の継承という視点でみれば非効率といわざるを得ない。

管理職や研究者といった、いかにも文化資本に恵まれていそうな男性ほど、えてして子どもと過ごす時間が制限されて、その豊かな文化資本を子どもに継承する機会に恵まれない。

これは、大変もったいないことではないだろうか。

だから私は、少なくとも子どもが一定の年齢に達するまでは、あらゆる手段を講じて子どもと過ごす時間を取りにいくつもりでいる。


子どもから見た父親は、母親につぐ最初期の他者である。

幼い時期の子どもは、父親と母親をとおして社会のルールやテンプレートを身に付けていく。精神分析的な表現を許していただけるなら、核家族というシステムのなかで子どもの”超自我”を司るのは、専ら父親と母親なのである。

親とは、子どもの友達や兄貴/姉貴にはなりきれない存在とも言い換えられる。

親の側が、どんなに対等に子どもに接しているつもりでも、子どもからみた親は、社会のルールやテンプレートの元型(アーキタイプ)としての側面を免れない。

同じ”アドバイス”でも、親に言われるのと友達に言われるのでは子どもにとっての意味が全然変わってくるのも、子どもからみた親が”超自我”の座を司っているからに他ならない。

親には親にしか伝えられないことがあると同時に、親には決して伝えられないことも、またあるのである。


私は、兄貴や姉貴的な存在は、子育てにとって意外に重要ではないかと思っている。

兄貴や姉貴の存在は、親という「”超自我”の権化」からの抑圧を緩和してくれるし、親離れ・子離れの助けにもなろう。

ところが現代社会において、兄貴や姉貴と巡り合って、縁を深めるチャンスはなかなか見つからない。

また、世間一般として、兄貴−舎弟のような人間関係が良いものとみなされている風にもみえない。

(「文化資本」の伝達という面においてはこちらの方が重要だとは思うのだが)子ども(主体)に欠如(「遅れ」)を思い知らせて、「象徴界」への参入を導く存在としての、父親/大人/師については、内田樹『他者と死者』*3第1章「知から欲望へ」をマークするにとどめておく。また、熊代氏の論は父系制社会を前提としたもので、母系制社会には当て嵌まらないということは申しておく。母系制社会では、父親は母親の彼氏にすぎず、父親的な機能を担うのは、子どもにとっては母の兄弟、つまり伯父/叔父である。さて、私は一人っ子なので、兄弟姉妹というのは全然実感が湧かないのだった*4。だから、「兄貴や姉貴的な存在」よりもおじさん/おばさん的な存在の方がずっと馴染みがある。というか、子どもにとって、親ではあるけど他人でもないという大人はまさにおじさん/おばさんなのだ*5。親族のサイズが縮小している中、おじさん/おばさんも兄貴/姉貴もちょっと見当たらないよという人も少なくない。ただ、親ではあるけど他人でもないという大人との関係をリアルな親族の外に拡張する幾つかの仕掛けが伝統社会にはあった筈。例えば、日本の武家社会やムラ社会における烏帽子親やかねつけ親。或いは、カトリック圏における代父(godfather)制度。ただ、現代の異郷社会には何があるのだろうか。
他者と死者―ラカンによるレヴィナス (文春文庫)

他者と死者―ラカンによるレヴィナス (文春文庫)

*1:http://p-shirokuma.hatenadiary.com/ https://twitter.com/twit_shirokuma See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060509/1147137862 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080421/1208714162 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080715/1216139452 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080717/1216261185 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080923/1222166948 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090301/1235894460 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090711/1247277644 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090810/1249877282 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090828/1251433107 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110215/1297786787 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111031/1320025749 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160815/1471229866

*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060106/1136569756 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060116/1137440431 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060430/1146387154 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060703/1151942109 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060906/1157552472 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060925/1159183238 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061101/1162360927 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061109/1163096222 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061207/1165468536 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070612/1181612322 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080622/1214075188 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080722/1216690565 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080818/1219023423 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080831/1220145450 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080911/1221104327 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081127/1227807914 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081205/1228412291 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090213/1234550817 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090223/1235371049 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090413/1239636250 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090702/1246567126 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090711/1247277644 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090713/1247461327 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090723/1248369714 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090805/1249478075 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090807/1249667591 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090827/1251340298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091028/1256748573 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091120/1258746079 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100114/1263492254 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100312/1268383625 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100329/1269840594 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100501/1272695358 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110103/1294080150 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110502/1304366060 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110626/1309107227 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110801/1312214564 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110815/1313421038 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110818/1313639595 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111028/1319820049 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120516/1337129269 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141020/1413773297 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161014/1476463918 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180226/1519612385 但し、私の見解では、「文化資本」の所有者は個人に限定されない。集団や組織や社会や国家も「文化資本」を所有しうる。

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170526/1495770022

*4:大人になって、従妹からお兄ちゃんと初めて呼びかけられたときはちょっと吃驚した。

*5:母系制社会では逆転する。