承前*1
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51675758.html
主体性って流行りなのか。池田信夫*2も最近主体性について書いている。尤も主体性という言葉は使ってはおらず、「近代的自我」を論ずるという仕方ではあるけど。『「近代の超克」と京都学派』という本の書評というかたちを取っているのだが、池田の文章は(少なくとも直接的には)西田幾多郎や田辺元にはあまり関係がなさそうだ。それはともかくとして、関連箇所を切り取っておく;
「近代的自我を定義する身体の自己同一性」が「自明」性を失った云々というのはそれほど新しい話ではない。例えば、「拡張された心(Extended Mind)」という考え方については、最近言及したAndy Clarkの“Out of Our Brains”*3や“Extended Mind Redux: A Response”*4を参照のこと。また、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』*5を読み直してくださいということになるか。 また、そもそも「近代的自我」だって、「身体的同一性」が「自明」でなくなることをその存立の条件としていたのではないか。「身体的同一性」によって境界づけられるムンデインな経験的主体性=主観性が「自明」であるときには、超越論的主観性=主体性云々という問題は浮上してこない。「身体的同一性」が「自明」であったなら、デカルト的懐疑も生起しなかったのではないか。フッサールが『デカルト的省察』で論じたように、デカルトは超越論的主観性を発見しながらそれを経験的主観性と取り違えてしまった*6。勿論、超越論的主観性はその性格上、経験的主観性と取り違えられるという仕方でしか〈発見〉されえないものなのであろうが。また、「脳科学も明らかにしたように」と喚き散らすことの如何わしさについては、Tyler Burge “A Real Science of Mind”*7を参照のこと。「<私>は1000億のニューロンを同期させるための幻想にすぎない」というのは、解離性同一性障害(多重人格)のことを考えればまあ納得できる。しかし、「幻想」という言葉を使った場合、「幻想」である「<私>」が「幻想」ではない真実を認識できるのかどうかという難問が出てきてしまうだろう。さらに、問題なのは、その後のヘーゲルへの言及にも関わっているが、「自我」を成立させる審級としての〈他者〉や〈社会〉が無視されていることである。吉本隆明だって『共同幻想論』*8で、「私的幻想」と「対幻想」と「共同幻想」の区別はしていたんだぞ! 「自我」としての「<私>」が存在するというのは〈社会的事実〉であり、特定または不特定な他者が私が私であることを承認し、それに相応した応答=責任*9を要求することによってである*10。(池田氏が既婚者かどうかは知らないけれど、既婚者だとして)「池田信夫」が自宅のドアを開けて、〈女房〉が
(前略)ケータイで膨大な情報や体験を共有する若者は、仮想的に一つの身体で行動している。ケータイは彼らにとって、義手や義足のように身体の一部になっている。近代的自我を定義する身体の自己同一性は、もはや自明ではない。脳科学も明らかにしたように、もともと<私>は1000億のニューロンを同期させるための幻想にすぎない。近代的自我の起源をこのような身体性にもとづく所有権に求めたのはヘーゲルだが、市民的な身体性が失われると所有権の自明性も失われる。それが今まさにインターネットで起こっている変化である。東洋が今後の100年で西洋をleapfrogできる可能性があるとすれば、「知的財産権」を否定して個人という幻想をウェブに溶解させることかもしれない。(後略)
はじめまして。あなたは誰ですか。
というだけで、「池田信夫」という「<私>」の存在なんて崩壊してしまう。この事情については、都築道夫の小説『やぶにらみの時計』とか。ヘーゲルの話はさらにジョン・ロック(『市民政府論』第5章)に遡るのだろうけど、考えてみれば、私の〈労働〉の成果物を見つめて私の労働の成果! なんて呟いているのは、そもそもキモいわけだが、それはトートロジーにすぎず、そんなこと言ったって主観的妄想だということになるだろう。肝要なのは、私の〈労働〉の成果物(作品と言っていいのだろうか)が他者の目に晒されていて、常に他者による賞賛や批判の対象となる可能性があることだろう。そのことによって、私の作業、(さらに遡行して)私の存在が承認されるということになる。また、自明でなくなるのは「所有権」一般の筈なのに、何故「知的財産権」というふうに限定をつけるのか。
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*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110210/1297348107
*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070128/1169989586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090108/1231386781 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090223/1235362566 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090619/1245441165 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091126/1259201785 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091217/1261049929 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091218/1261105482 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100612/1276361557 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100621/1277100760 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101120/1290272803 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101230/1293715439
*3:http://opinionator.blogs.nytimes.com/2010/12/12/out-of-our-brains/ Referred in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101226/1293340984
*4:http://opinionator.blogs.nytimes.com/2010/12/14/extended-mind-redux-a-response/ Referred in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110103/1294083279
*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060206/1139201519 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090508/1241754422
*6:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070621/1182404937 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080308/1204949369 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090531/1243749688
*7:http://opinionator.blogs.nytimes.com/2010/12/19/a-real-science-of-mind/ Referred in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110114/1295006321
*8:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050705 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100130/1264834811
*9:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050601 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050706 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070426/1177530648 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081027/1225074961 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081222/1229915830 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090107/1231344604 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090721/1248151776
*10:呼格(vocative case)という言語のあり方に思いを致すべきかも知れない。See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060412/1144848790 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071025/1193332927 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071206/1196915428 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080215/1203101413 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081027/1225074961 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101021/1287629417