チベットと3人の西洋人

郭浄「山路上的探検家」『書城』2009年2月号、pp.73-80


チベットを巡る3人の西洋人について。
先ずは英国人探検家である金敦・沃徳(Frank Kingdon Ward*1)(pp.73-75)。彼は8度に亙ってチベット東部と雲南西北部を探検し、主に植生の調査と植物標本の採集を行ったが、上の文章で主に言及されているのは1913年から1914年にかけての金沙江、瀾滄江、怒江流域の踏査。また、彼の主著として挙げられているのはMystery Rivers of Tibet(1921)*2
次いで、米国人植物学者/人類学者である約瑟夫・洛克(Joseph F. Rock*3、1884-1962)(pp.75-77)。彼は雲南麗江*4を拠点として主に中甸や徳欽で調査を行ったが、青海、甘粛等の踏査も行った。彼の主著として挙げられているのはA Nakhi-English encyclopedic dictionary(1963)、The Ancient Nakhi Kingdom of Southwest China(2 volumes)(1948)*5チベット族ならぬ納西族に関するものだが、彼がNational Geographicに寄稿した記事は『失われた地平線』*6のネタ元となったので、西洋におけるチベット・イメージ(〈シャングリ・ラ〉幻想)の起源のひとつということになる。National Geographicは1997年に雲南を取材し、Joseph F. Rockに関する特集記事を作っている;


Gore, R. (1997) "Joseph Rock (1922-1935): Our Man in China" National Geographic Magazine 191: 62-81

3人目は仏蘭西人女性の大衛・妮爾(Alexandra David-Neel*7、1869-1969)(pp.77-80)。主著として挙げられているのは Voyage d'une Parisienne à Lhassa(1927)*8。彼女は先ず1910年にシッキム(錫金)と印度に行き、そこで佛教研究やチベット語学習を行った。また、そのときにダライ・ラマ13世に拝謁。1916年にはラサとShigatse(日喀則)*9に行き、パンチェン・ラマに拝謁するも、シッキムの英国領事の妨害によりチベット退去を余儀なくされ、ビルマ、日本、朝鮮を経て、仏蘭西に帰国(pp.77-78)。1918年から1921年まで、青海の「塔爾寺」で生活(p.78)。1923年には雲南経由でチベット人に変装してチベット入りに成功。これが彼女にとって主要なチベット探検となる(pp.78-80)。また、1938年から1944年まで康定に住む。その後仏蘭西に帰国して、1969年に死去(p.80)。記事に曰く、


她一生的旅行和著述、奠定了法国及至欧洲蔵学研究的基礎、也使她成為法国的英雄和備受尊敬的“喇嘛夫人”。法国許多人至今対西蔵懐有特殊感情、這與他們景仰的喇嘛夫人委実分不開。(p.80)
また、興味深かったのは、彼女が自らのエピタフを(チベット語でも仏蘭西語でもなく)「漢文」で書いていること;

向偉大的哲学家大衛・妮爾夫人致敬。
這位女精英獲得了極其豊碩的哲学知識、
把佛教和佛教儀軌引進了欧洲。
(…)(ibid.)