都市は「沸騰」する?

Skeltia_vergberさん*1によれば、NHKで『沸騰都市』というシリーズが放映されているそうな*2。そこで採り上げられた(る)都市は、ドバイ、倫敦、ダッカイスタンブールヨハネスブルグサンパウロシンガポール、TOKYOだという。米国の諸都市と中華圏の諸都市を敢えてスルーするというところに企画のオリジナリティがある?
番組を視ていないので、番組について云々することはできない。しかし、気になったのは「沸騰」という言葉。社会学を少し囓った人なら、「沸騰」という言葉を聞いて、デュルケームが『宗教生活の原初形態』で呈示した「社会的沸騰(effervescence sociale)」という概念を思い出すのではないだろうか。果たして、それらの番組における「沸騰」はデュルケーム的かどうか。

宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)

宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)

宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)

宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)

さて、Skeltia_vergberさんがMixiの日記で、東浩紀北田暁大『東京から考える』*3に言及しているのだが、この本の副題には「ナショナリズム」という言葉が入っていながら、首都としての東京に対する論及がない(空間的な比喩を使えば、永田町や霞ヶ関が避けられている)のはどういう意図があるのだろうかとは、ずっと感じていた疑問であるということを告白しておく。
東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)